/ja あやつる YmrDhalmel

バレーボールを見た記録が多いです。主に北で、たまに南で。

追憶の「法政バレー黄金時代」

http://vnc.jp/archives/2005/10/_1_1.shtml
コメントを書こうと思ったのだが、長くなりそうなのでこちらからもトラバを打たせていただくことにする。

相手が法政ってのも、黄金期(菅野・大竹・吉田・蔭山・松本・高尾)を知っている年代としては何か複雑なものがあります。

これは激しく同感。
崩せない法政の牙城というものがあり、それをなんとか東海やら日体やら(そして徐々に筑波も)切り崩そうとしては屈していた。昭和と平成を挟むくらいの時期の大学男子バレーは、そういう図式にあった(この頃は1部2部は6チーム。1部下位に早稲田とか順大とか中央とかが出たり入ったりしていた)。法政は上記に出ている中で松本選手(のち富士フイルム)だけが1学年上で、松本選手が卒業したあとに青山選手だの末次選手だのが台頭していた。部員は多くなかったが、層は厚すぎた。
当時駆け出しの大学バレーファンで主に筑波を応援し出していた当方にとっては、まさに目の上のタンコブだったのが法政であり、勝つとそりゃぁもぉ嬉しいなんてもんじゃなかった。

法政はいわゆる総合大学だが、スポーツや体育関連の学部を持たない。この頃から、選手の線は割と細いしトレーニングとか食事の管理とかそのあたりがままならないのかなぁ*1と思いつつあったのだが、今はさらに厳しい状況になってしまっているのだろうか。黄金時代を知る吉田監督も歯がゆい思いをしているのだろうか。
まぁこのあたりは大学の戦略にも因るのだろうし難しいところなのだろうけど、何かしら突破口が出来ればよいのだろうなぁと思うところではある。

そういえば、先日日体を見たときに驚いたのが、部員数の減少。
上のエントリーじゃないが、下級生の背番号が80番、90番台だったことを考える*2と、現在はかなり減っている。チアが両方にいたのにも驚いたが(日体のチア初めて見た)。

*1:それでも負けなかったのは、個々の選手の意識の高さゆえだったのだろうが

*2:さらに背番号を貰えない部員が多々いたとかいないとか…