ふしめについてふしめがちに。
なぜこのタイミングでわたくしのしゃしんへんしゅうきのうがどうにもこうにもなっていないのかについてものをいいたくなりながら、かろうじてこのブログに残っているしゃしんをただひもといている。
ごくごく最近拝見したのは、1月の旭川であった。
今季は開幕以来、年内にサンガイアを見られる機会がないままここまできた。ちょうど、1月の土曜に旭川、日曜に札幌という日程があって、土曜日は久しぶりに観客のひとりとして旭川に赴いた。朝が早かったので、えらく緊張した。
チームにおおきな流れが来つつあるなあとはなんとなくそんな感覚があった。結局この発表を経て唯一チームに残ることになる(入ったばかりだけど)堀がサンガイアでセッターとして出たのを見たのもこの日が最初だった。
この日はエンドの席で見ていて、はまさんの出場機会はネットの向こう側にいたときだった。やきつけるように、あかいひとたちの幟をバックにセットを上げているのを見ていた。試合自体は、総じて、対戦相手のヴィアティンに、勢いとつよさがありすぎた。そういう試合だった。
2月にもサンガイアは旭川にやってきたが、そのときは、札幌が雪で埋まっていて出かけられなかった(旭川はそうでもなかった)。
3月の最終戦、わたしは深川でこっちの最終戦を追っていたのだが、遠く蕨でのしゃしんを見て、「…なのかなあ」となんとなく感じ入った。その時点でことばにされていたことと、ことばにされていなかったことと、様々な思いが、現地のしゃしんを見てさーっと流れた。かなりいっぱいいっぱいギリギリの状況の中で、そのことだけは心にしまい込んでいた。
おつかれさまでしたとありがとうございましたの他に適切なことばがあるのかどうかがわからないのだけど、まずは。
ずっとずっと、我の傍らにはこのメッセージがあった。その「ずっとずっと」について、自分の中でのふしめも固まりつつあるので、それは稿を改めて近々と思っている。