/ja あやつる YmrDhalmel

バレーボールを見た記録が多いです。主に北で、たまに南で。

あかん。まだことばにならないや。

数日前、V公式サイトにある、サンガイアのチーム紹介ページが唐突に更新されていた。毎週水曜日にV公式サイトから発表される移籍公示は、ここ2週間休日にかかるのでおこなわれないところだった。チームの事務局もきょうまで休みである旨、事前にお知らせがあったから、いろいろわかるのは連休明けだろうと思っていた。サンガイアは連休に向けて、YouTubeチャンネルに連続クイズやら手洗い動画やらトレーニング紹介やら流していた。↓これは第1弾

www.youtube.com

その連続クイズが出きったのが5月に入ってからで(既に事務局は休みに入っていた)、回答を書いてメールを送ったあとに、その「唐突な更新」に気がついて、ことばをなくした。え、せんせーのしどーのもとにてをあらってほっとしてるのとかおうぼほうほうのしょうかいしてるのとかだいいちもんめのこたえとか…(暴走しそう

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2018年12月、堺。今見ると、なんというか、ね。

きょう発表された。発表があるとは思いもよらなかったので、それに気がつくまでずっと「12人の優しい日本人を読む会」の配信に見入っていた*1。サンガイアの公式サイトに行ってみたら、いきなり「選手入団のお知らせ」が目に入ってきて、びっくりして、そちらのリンクを先にたどった。

あたまがごちゃごちゃぐちゃぐちゃで、まだまだ整理には程遠い。ということだけ、きょうは書いておく。

この前もジェイテクトのことを書いたときに書いたような気がするのだが、急に巻き戻されてくるサンガイア、というのがあるんだなあ。

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2009年3月8日 江戸川区スポーツセンター(2008/09V・チャレンジ ファイナルリーグ)

昔々その昔から、チームってなんだろう、チームは形を変えたときにチームたりうるのか、ということを、ずっと考えて、何度となくここにも書いている。今のようにV公式が選手の登録をつぶさにサイトに反映していない頃に、突然何人も退団「した」という報せに触れたことがあった。今だって、突然のこと、というのは、慣れていないけどある。何度となくある。それでもチームは続いていて自分も見ようとしている*2のだろう。チームは生き物であって、チームが生きている事自体が、今はひとつの救いである。いやお前はいいだろと仰る方もあるかもしれないが、そう見えてそうでもないんだよと。

↓このときに書いた、生きているチームの中にある、いくつかの岐路、に、匹敵しそうな岐路だなあと、ね。しばらく、噛み締めつつ、次の展開を待つ、んだろうな。

少なくとも今月いっぱいは、いろいろな収束を待ちながら、じゃないとならんのだろうが。

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*1:後編は18時開始のはずだったが、再生してみる時間がなくなってしまったので、まだ見ていない。後日家族と再度見ることにした

*2:今は流石に見ようがないのだが

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黒鷲と思い出

ほんとうならばこの時期は、遠くから聞こえる黒鷲のたよりをシゴトしながら、あるいは地元で大学バレーを見ながらタイムラインで追いつつ、あるいは現地で殺伐としつつ、過ごしているはずなのである。ことしもわたしは留守番部隊であることにはあまりかわりはないのだが、ことしはあまねくすべてのバレーボーラーがあるいはファンが関係する方々がみな留守番部隊なのである。というか留守ってどこがじゃ。

今に限らず人混みがあまり得意ではない*1わたしにとって、大阪府立体育会館(今なんでしたっけ、エディオンアリーナでしたっけ)時代の黒鷲というのは、行くのに非常に勇気の要った案件であった。だもんで、大阪市中央ダンジョン…になった今は、若干行くのに躊躇は要らなくなった。だけど2階席の片隅に行ってほぇーっとしていることはありますなぁよく*2

なんだかあまり本線の思い出って思い出せずにいたりする。張り切って前日(開会式だった)に現地に向かったら諸事情により非常にかなしい大会になっちゃったのとか、ほんとうに涙がこぼれそうな日を前にして帰っちゃったときとか。伊丹でたこ焼き(たぶんあれは冷凍されてたやつだろうなあ)食べたなあとか、なんばで食べたうどん*3が美味しかったなあとか、あっダンジョンの向かいで得正カレー食べたなあとか、得正といえばカレーうどん探して彷徨ったなあとか、一体何を思い出しているんだもう。

夜遅くまで試合を見ていたら、近くで見ていた地元の方に飴ちゃんをいただいたことだの、加藤さんラストの折にロビーにできたサンガイアブースで、加藤さんが学生のとき*4以来でお久しぶりの方にお会いしたりとか、妙な意味でつよい思い出が其処には在ったりするんだよなあと。

わたしの黒鷲の記憶、三好と近大が対戦して(この組み合わせも妙に多いよのぉ)、それを当時日本でのプレイを望みつつ練習生で三好に赴いた後にこの試合を見つめていた陳さん、という取り合わせで、最後熱い胴上げを…遠くから見ていた*5のがいちばんあたらしいきおくになってもうている。

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2017年。大分三好ヴァイセアドラー-近畿大学

いつか、また、サンガイアが黒鷲に出るのを見たい。なんだかだんだんハードルがあがってきちゃっている気がするのは、たぶん気のせいではない。そんなことを思いつつ、脳内で進行する黒鷲をことしは愉しむ(って、愉しめるのかぃ

*1:それでなんでバレーファン続けていられるのだろうかという素朴な疑問はどこかにファウルしておいてほしい

*2:某年、斯様な自分よりも更に上部で戦況を見つめていた当時筑波大女子コーチさんに見つかったことがありましたな…

*3:なんばCITY南館ののらや。のらやすきだったんだがここのは去年閉店になってたんだなあって

*4:その頃バレーを見る回数は減ってたけど

*5:黒鷲で現地に行っていた最中に風邪引いた←

「でもさ、画面越しにボールが繋がるわけじゃないんだよね」

緊急事態宣言が全国に拡大したことによって(其れより前からわたしが住む場所の周辺もいろいろ難しいことにはなっていたのだが、いわばとどめを刺されるがごとく)、先週後半から、シゴトバに向かわずに家にいる時間が発生している。その間に、あれやこれやそれの中止が発表された。そうだろうなあ、そうせざるをえないんだろうなあ、と、だんだんと、受け止める側の反応も、乾いてきているなあ、と、涙の在る現場*1にはたいへん申し訳ないのだが、そんな感覚の中にある。

今、いろいろなことが中止になることは、致し方ないことだ。考えるところはいっぱいあるのだろうが、今、じぶんにできることは、できるだけ外出を避けて、手を洗って、すこやかに過ごしていることくらいである。何の役にたっているのかわからないが、今は、余計なことをして邪魔にならないことが、いちばん大事なのだろうということである。尤も、世の中の大事なところを動かす方々のおかげで、今ここにいられるのだろうとは思っている。あ、先日(コロナ云々で身動きが取れなくなるちょっと前に識ったんだが)、山元麺蔵さんの通販扱いを見て、実に久しぶり(実は2008年に一回行ってたんだな)のうどんを取り寄せて食べてとても美味しかったのだったとか。

dhalmel.hatenadiary.jp

あ、このエントリは、初めて行った2007年大山崎大会直前の折だったなあ。デルフィーノ草創期に、NTT(店主もそこの出身であった)のOBがいっぱい其処でプレイしていたのを見に行ってたんだったなあと。その折は「手打ちうどん」と書かれていたそのアタマの3文字が今は無いことに気がついた*2が、そのうどんのコシとぴりりと辛いスープ(肉味噌たべました)と味わいながら、ああ店主はセッターだったなあ(けど自分はプレイを見たことはない)と感じ入るなど(そういう目で見たことはなかった)。

かなり脱線した。脱線したのには理由があって、うどん美味しいので是非こんどどうぞ、だからである。クール便で届くので、送料を加味したらある程度まとめてのほうがいいのかもしれないよ。

menzou.shopselect.net

お取り寄せといえば、連休明けにたのしみにしている件もあるのだ。どきどき。

んまぁそうだとは思ったしたぶんそうなんだろうけど、連休が明けたとて、緊急事態宣言は明けないのだろうし、まだまだ様々な件が始まるには時間がかかるのだろうと思っている。このウイルスの対策について、決定打がまだない状況を鑑みると、「中止」や「延期」は、今確定している夏以降もつづくんじゃないだろうかというふうに思っているところである。否、中止云々じゃなくて、人と人との接し方に変化が求められている昨今、その競技のありようについてもかわってきちゃうんじゃないだろうか、今のままではいられないんじゃないだろうか、じゃあ、この先どうなるんだろう、という考えが、どんどん増幅してしまっているのである。ちょっと前にも書いたが。

週末にテレビで見た番組で、複数名が、それぞれの自宅で歌ったものを、合唱の形にして放映(それ以前に、生のアカペラでちゃんと曲になるのがすごいよなと思った)されたものを見て、唸った。そこから見ると、室内の、団体スポーツで、コミュニケーションを密にすることが必要な競技において、「今」あるいは「もうちょっとだけ緩和された状態」で、できる方向性ってあるんだろうか、と、最近ことさらに「誰かと誰かがスポーツをすること」がクラスタの一因になっている状況をニュースで聞きながら思うのである。個々に自分の空間で自分の体力、筋力をつけることができたとて、そこからボールがつながっていくわけじゃないんだよなと。オンラインでトスがあがってスパイク決まったら、そりゃ嬉しいし楽しいし高まるけどさ。だけどさ。

今こそ心を一つにしてとかいやいちばんそれ感じてるのプレイする側だからさとかそういうのはさておく。おかせてほしい。なんだか、自分がこれから、普通に自分の側にあるものだと思っていた「見て愉しむ」ということそれ自体が、これからも続くのだろうかな、という疑念が、消えないのである。この感覚、なんだろうなって。

昨夜はそれを考えていたら眠れなくなったとか、なんだろうなって。長すぎる連休に、でかいテーマができたのかもしれないなと。

なお、このタイトルを考えたときに、遠隔でボールが繋がるCMを、かつてJTがやってたなあと思って、動画ギャラリーを探したが、もう無いみたいだったのだ。ついーとをたどったところ、2015年くらいの放映だったようだ。そもそも、その競技のありよう、意味合い、どんなふうに続けていくか、変わらなければならない部分があるのか、いろいろと。

*1:だって、ことしの、その大会が、区切りだったわけでしょ、という

*2:そういえばいつだか機械打ちになったと店主のブログで読んだ記憶があったなあ

そのブロードを

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2015年。「あの試合の翌週」

2015年1月17日、日野。例によってギリギリの到着。

2つのコートで(というコート割と座席割が実に微妙な…日野にありがちなやつだったんだが)、前の週に凄まじい(記憶と記録に残る)直接対決をしたサンガイアと大分三好が、それぞれ試合をしていた。最初はアリーナのサンガイアがよく見えるところに駆け込んだんだが、そのうち、途中のセットから、両方のコートが俯瞰できる(けどサンガイア側の)スタンドに落ち着いて、そこで試合を見ていた。

サンガイアは警視庁とフルセットを戦ったが敗れた。戦い方が微妙な試合だったのだろうと思うが、其れも含めてのひとつの結果だったのだろうと。その中で決まったブロードと、前後に入念に打ち合わせをするセッターとアタッカーと、印象に残った。今なら「パーソナルスペースを保ちましょう」みたいな絵面になりそうになりながら、コートの両端で、決まったあと一瞬表情を緩めたふたりの選手。かなーりしゃしんの配置としては微妙だが、今でも折々に思い出す光景である。

桜のホームで結果的にそのシーズン最大のパフォーマンスを出して、その後かなり難しいシーズンを過ごしたサンガイア。シーズンを終えたあと、このときの背番号2と3は(若干のタイムラグはありつつ)相次いでチームを去り、このシーンは「紐解く対象」として、しばし、ただ自分の脳内に刻まれていた。ことばにしてよいのかどうか、わからぬままに。

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そのブロードを思い出していた(2015年1月17日、警視庁戦)

そういうことはクチに出していいのかどうかわからないまま過ごした3年あまりを経て*1、もう一度見られるとは、思いもよらなかった。そりゃもう嬉しかったんだが、思いのとおりになってよかったと言っていいのかわからなかった。ただ、このチームをすきでいてよかったなと思った、が、近いのかな。

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シャツネームがかわっていた。ソックスは黒くなった。(2018年12月2日、堺)

確かこのシーズン=昨季のおみくじでおっくん*2を引いて、「クマのような優しさで」という文言を心に刻んだんだった。最終日に途中で怪我で退場…と思いきや、翌週某所で元気にプレイしていたときいたのもそのときだったなあと。バレーを愛しバレーに愛されている選手であるのは、初めて見た、赤いユニフォームを着てバックから打ち込んできた学生時分からかわらんのかなという気がしている。

昨季といえば、その、「バックから飛んできたよーーーーー」(2019年3月2日、川崎での警視庁戦)が記憶に新しかったのだが、今季=2019-20、そのバックからの攻撃を、もっともっといっぱい見ることになった。今季はOPでの出場だったからである。締まった、というか、優しさの中にいっぱいつよさを見据えるような、そういうシーズンを見ていた感がある。

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今季随一の鳥肌ゲーム、トヨタ自動車にストレート勝ちでのヒーローインタビュー(2019/12/8、みよし)

第一報をチームのリリースで見て、それから、思いもよらぬ大きさでぽっかりとあく穴がでかくなってきている。来季というものの目処がついたときに、そのときに、ひとしお、響く、んだろうなと思いつつ…

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伝説の黒魔法が炸裂してしまった日(2020/8/25、留萌、サフィルヴァと)

おつかれさまでしたなのかありがとうなのか、ことばがわからんのだよ。なんだか。一気に降ってくるのだよ。メテオシャワーっていうやつですか、ん、もう。

なので、ことばがちゃんと出たときに、あらためて。

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*1:あっいちど短冊に書きかけたけどね

*2:当時は「どっち?」と聞くのがお約束だった

過去と未来のはざまで

最後に体育館でバレーボールの試合を見てから、まもなく2ヶ月が経過する。

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その時なりの厳重な警戒の中でおこなわれた試合だったが、今しゃしんを見るとどことなく違和感がある。(2020/02/23、カピオ)

そして、今は、先の見えない状況の真っ只中にいる。その後の「予定」は、順番に中止になっている。それが日常になっている。今、出ている(全国に拡がった)緊急事態宣言は、5月6日までということになっているが、それだってどうだかわからない。

2019-20のシーズンを振り返り、そのシーズンを愉しませてくださった方々に感謝を直接伝えることは、この状況ではかなわないこととなってしまった。現時点で、野球やサッカーなどの屋外スポーツも開始がままならないところで*1、アリーナスポーツに再開の望みがあるのだろうかとぼんやり考えている。2020-21シーズンを待つことも、願わないほうがいいのかもしれないと考えることすらある。願いを具体的な時期に落とし込むことで、知らず識らずのうちに無理をすることになっているんじゃないか、現に「2020年の(開催を予定していた)」オリンピックをめぐるあれこれが、その図式にずっぽりはまってしまっていたんじゃなかろうか、と、そんなことを思う。

もし、ちゃんと落ち着くか、割り切るか、見切るかして、次が来るとしても、つい最近の、写真の中の光景とは、また違う絵面を見ることになるのかなという気がしてはいる。確かFF10ブリッツボールがそうだったが、観戦するものとプレイするものの間に、超えられない結界ができるような。あるいは、それぞれの間においても、距離が重んじられるような。密集したアリーナの、興奮の坩堝の中で、ということは、これからあるんだろうか、というようなことを思う。

あの時(もう、2ヶ月前は、遠くに見える日々になった)見ていたチームや選手たちが、画面の向こうから、精一杯の対策をしながら、距離を取って今を乗り切る呼びかけをしている。それを見ながら、こちらは若干荒れ気味な手*2をケアするハンドクリームを擦り込んでいる。

最近は、家にこもって絵を描く濃度と速度が上がった感がある。昨日よりも、ほんのちょっとだけでも、できることが増える、というような未来につながればいいなと思いながら、過去の思い出を紐解いて、じゃぶじゃぶ絵の具に水を含ませている。絵を描くことが直接なにかに結びつくわけではないが、その行為によってかろうじて心身のバランスを保っているかもしれないとは思う。

この頃、文字を文字にすることに、えらくパワーを消費する。今月に入って、すっかり文章を書けなくなった。だから、書いてない。きょうは、ようやく書いた。

*1:テレビで競馬を「見る」のが最近週末の愉しみではある

*2:理由は石鹸の手洗いではないような気がしている。消毒液かなと。シゴトバの通用口で手を消毒するのが義務付けられて久しいが、消毒液は最近アルコールではなくなった

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