まだまだできない総括に代えてほんの少しだけ
時間は留まった。
留まったと云うよりは、その方向へは全く作用しなくなった。止まってはいないから、日々髪も伸びれば腹も減る。心象の風景とは裏腹に、雪は次第に溶けて(あれっ昨日降ってたような気がするけど気のせいだ)、春は着々とこの地にもやってきつつある。
結果的にV2開催の最終週となったのがカピオ(と稲城)だった。そこから1ヶ月余。突然終わっちゃったシーズンを、しゃしんを何度となく振り返りながら、総括を試みつつ、まとまらずにいる日々が続いている。
サンガイアにとっては難しいシーズンだったと思っている。勝ち負けのことばかりではない。勝ち負けでいっても、連敗と連勝を繰り返す、安定し難い部分はあった。岐路となる試合、ということで思い起こすと、おそらく、愛知でトヨタに勝った試合、東村山でヴォレアスに打ちのめされた試合、そして、このカピオ、というあたりになるのかなという気がしたり、しなかったり。
中でも、特に年が明けてから難しいテーマとしてのしかかったと思われるのが、どんな布陣で進み、どう切り替えられるかというところだったのだろうと。「みんな」が士気をそのままに、その先にすすめる態勢を持ち続けられたかと云うと、それは難しかった、そして、いつからになるのかわからない、「このあと」への課題は、残っていくのだろうと。
シーズン中を遥かに超える難しさの中に在るだろうと思われる現在、それぞれの現場に散って奮闘しているサンガイアの方々がどんなふうに過ごしているのだろうか、みなさんお元気ですかという思いは持ちつつ、それを現すことに躊躇している。現せないことに苛立ちを憶えつつまぶたを閉じると、このシーズンのあいだ、少しずつ、少しずつ存在感を増していったひとの存在が鮮やかに浮かび上がっていた。シーズンが終わる頃には、開幕前や直後の頃のことが信じがたいくらいに、おおきく映っていた。難しいシーズンを、乗り越えながら、だったのだということを、噛みしめてみた。振り返るという行為をするときに、かならず浮かぶフレーズであることを、改めて思い出した。
またその続きをちゃんと見られればいいなと思っている。
いっしょうけんめい、げんきでいよう。また。
無い
拡がっている。
拡がっているからどんどん閉じる。
閉じた状態で日々は過ぎる。
取り立てて何かができるわけではない。
必要最小限(つまりおしごとだ)励んでしっかり籠もって手を洗って過ごすばかりだ。
しばらく機会がなさそうなので、カメラも室内履きも奥に仕舞った。
しばしば前のしゃしんを紐解くが、2月下旬、みんなマスクしながら見てたカピオのそれでさえ、えらく前のことのように思えた。
ボールは繋がり、為せればハイタッチして喜ぶ。対戦する互いを尊重するために手を握る。エスコートする子どもたちとハイタッチする。天井が在って、カーテンが閉められた、屋内の施設の中で。
いつか、また見たいと願うものが、また見られるようになるまでは、どれくらい時間がかかるのだろうか。そして、もし見られたとしても、同じように続くのだろうか。
変わること、変えられそうなこと、変えていかなければならないこと、変わらないこと。
今、展望が無い、「いつか」。
どんどん目の前の扉は閉まっていく。
今朝、寝起きで識ったニュースが、黒鷲中止だった。
昼になって、関東大学リーグの中止が発表された。当初、あと2週間くらいで開幕の予定だったところを、開始タイミングが遅れる(でも日程はまだよー)旨発表はあった。だがしかし。
関東でリーグが中止になるのは2011年春以来だという。このときの中止理由はほかならぬ東日本大震災であった。関東と東北以外は開催されていたと記憶している。
震災のおりと今回のとはいろいろ事情が違う。にているけれど大きく違うのは、あつまれないことと、全国規模、いや、世界規模で拡がっていることの一部であるということである。関東の判断と他の地域との判断とはリンクしないかもしれないし、関東がそう舵をとったのだから我らも、という状況が各地で起こるのかもしれない。それはよくわからない。よーいどんで(東|西)日本インカレからのスタートになるのかもしれない。それはよくわからない。今季たのしみな1年生がいっぱいいたなあと。新人賞争いは前にならうと秋にもつれ込むのかなとかも。
関東以外の各学連については、それぞれ検討されているところのようではある。北海道においてはいちばん早いパターンで5/9の開始という案があるが、現時点で、東日本インカレ以降にリーグ戦を開催する(その場合は選手権は中止)というのを含め、3パターン検討されているようだ。(→PDFfrom北海道学連)
目を引かれたのは、通常は「6チーム総当たり5試合+順位決定リーグ3試合」になっている北海道の1部リーグ戦が、この状況における案では5試合総当りで終わりになっていて、入れ替え戦も普通の(語弊がある)入れ替え戦で考えられているところである。関東が中止にせざるを得なかったのは、いつの間にかリーグ戦が12という大所帯になっていて、日程を「削る」ことが事実上できなかったからなのではないかと邪推している。理由がそこにあるのなら、できるところはできる時期が来たらできるようになっていてほしいなと、見る者は勝手に思っているのである。今、学校の施設が遣えず、集まれず、練習ができないチームが少なからずあることは、承知の上で*1、なお、そう思う。
*1:万全に練習が積めない状況でリーグがあっても、という声も、受け止めつつ
どうしたらいいんでしょうね、ほんとにね。
おわっちゃうんだ。
そしておわらないんだ。
相撲を見てたけど相撲も終わっちゃった。
さて。
最近は文字もよー書かずに絵の具ばかりが減っていく。
ただし、絵の具というのもなかなかエコなものでして、しばし続きそうだ。
紙もまだある。
ことばにしたいことは多々あれど、集まれないからことばを発する機会もない。
だから、手だけを動かしていよう。
そんな感じだ。
どうするのがいいのかよくわからないけど、手を洗って寝ましょう。元気でいましょう。
難しい話をかく。
当地においては、バレーボールを見る、ということが、あんまり一般的な観戦行為ではなかった。今もそうかも知れないというのは措いておく。
8年半ほど前、生まれ育ったこちらに戻ってきて、ほどなくブログに書いたのを思い出す。
こちらに戻ってきて、バレーボールだけじゃなく、いろいろな競技や、競技じゃないものを、見るようになった。とーきょにいたときは、バレーボールを見ることと働くことで精一杯だった。その表現は正しくないかもしれないが、そう書くのがいちばん適切かもしれない。
いろいろ見ていて思ったのは、こちらには、こちらの距離感で、見る、愛する対象と、それを応援する者との関係が在るということである。こちらに来て、吹っ切れたことと、戸惑ったこと、いろいろあったなあと思う。
直接の要因は不測の事態に因る試合の中止だったのだが、ここまでことが大きくなったのは、こちらの距離感が、ただしく測られなかったことにあったのじゃないかなという気がしている。導かれる結果は変わらないにせよ、もうちょっと幸せな着地のさせ方、仕方があったのかもしれない。もっとも、そんな気遣いが居るのかいと突っ込みたくなる自分も、そこには同居しているのだ。わからない。いっぱいわからない。わかるのは、わたしがかつて住んでいたときとは違い、そこにいる誰かを、何かを、恐ろしい勢いで愛することが、こちらにいるひとには日常として在るということだ。
正解は無いのだろうが、どうにも、難しい後味を、ここに残してしまったのだなと思っている。