過去と未来のはざまで
最後に体育館でバレーボールの試合を見てから、まもなく2ヶ月が経過する。
そして、今は、先の見えない状況の真っ只中にいる。その後の「予定」は、順番に中止になっている。それが日常になっている。今、出ている(全国に拡がった)緊急事態宣言は、5月6日までということになっているが、それだってどうだかわからない。
2019-20のシーズンを振り返り、そのシーズンを愉しませてくださった方々に感謝を直接伝えることは、この状況ではかなわないこととなってしまった。現時点で、野球やサッカーなどの屋外スポーツも開始がままならないところで*1、アリーナスポーツに再開の望みがあるのだろうかとぼんやり考えている。2020-21シーズンを待つことも、願わないほうがいいのかもしれないと考えることすらある。願いを具体的な時期に落とし込むことで、知らず識らずのうちに無理をすることになっているんじゃないか、現に「2020年の(開催を予定していた)」オリンピックをめぐるあれこれが、その図式にずっぽりはまってしまっていたんじゃなかろうか、と、そんなことを思う。
もし、ちゃんと落ち着くか、割り切るか、見切るかして、次が来るとしても、つい最近の、写真の中の光景とは、また違う絵面を見ることになるのかなという気がしてはいる。確かFF10のブリッツボールがそうだったが、観戦するものとプレイするものの間に、超えられない結界ができるような。あるいは、それぞれの間においても、距離が重んじられるような。密集したアリーナの、興奮の坩堝の中で、ということは、これからあるんだろうか、というようなことを思う。
あの時(もう、2ヶ月前は、遠くに見える日々になった)見ていたチームや選手たちが、画面の向こうから、精一杯の対策をしながら、距離を取って今を乗り切る呼びかけをしている。それを見ながら、こちらは若干荒れ気味な手*2をケアするハンドクリームを擦り込んでいる。
最近は、家にこもって絵を描く濃度と速度が上がった感がある。昨日よりも、ほんのちょっとだけでも、できることが増える、というような未来につながればいいなと思いながら、過去の思い出を紐解いて、じゃぶじゃぶ絵の具に水を含ませている。絵を描くことが直接なにかに結びつくわけではないが、その行為によってかろうじて心身のバランスを保っているかもしれないとは思う。
この頃、文字を文字にすることに、えらくパワーを消費する。今月に入って、すっかり文章を書けなくなった。だから、書いてない。きょうは、ようやく書いた。
先日は200字くらいの文章を書くことがなかなかできなかった、何度となく書けないと云いながら、目を瞑ってボタンを押した。
こんなことは初めてだった。それだけを書き残しておく。