二段トスと愛の権化
inspired:http://spora.jp/volley-777/archive/501/0
二段トスには何かが詰まっているのだと思う。そこまで運んできた執念と、決めるべき者に対する願いと。願いはそのボールの周りからだんだん広がって、その空間の、否、その空間で繰り広げられているゲームに気持ちを注いでいるセカイジュウの人々のそれをも包み、おおきなものとなって、そこで。
今朝上記エントリーを拝見して、すぐに思い浮かんだシーンがあった。しかし「あれ、セッターが上げるのって、二段って言うんだっけ」と思ったので保留(この記事[注:PDF]などを見ると、その解釈はぶれているみたいだが)。次に思い出したシーンについて、覚え書き的にメモする*1。ちなみに、そのシーンについては過去にも一度書いた。
リプレイ
- 2008年全日本インカレ3位決定戦、中央-順天堂第2セット。第1セットは順大が先取。
- 2-2でサーバー千々木。
- 順大のレセプションはセッターにきっちり返り、間瀬が速攻。
- 間一髪のところで重村が反応しレシーブ(1)。ボールはちょっと後ろへ。
- 千々木がアンダーでめいっぱい高く上げる(2)。
- 福澤が3枚ブロックの上にタッチさせてエンドラインいっぱいに決める(3)。
実況の具合
- 実況「ワンタッチありました」
- 解説(大竹氏)「高いですね今のは」
- 実況「千々木も『お願いします!』という感じであげましたけど」
- 解説「3枚ついてその上ですね」
実はCはBだったのだ(謎)*2。このあたりに、何かと何かが繋がっていく、というのを、なんだかきりきりするくらいに感じるんだな…決める人が繋いで、繋ぐ人が決めて。実は、このセットが始まるときに逆の向きがあって、後衛にいた福澤が飛び込んで拾って、それを無理矢理(といってもいいくらいぎりぎりで)千々木が打ち返してその次のプレイに繋げたというのがあったのである。
んまぁ、バレーのコートには両手で足りない数の人たちが蠢いていて、それぞれの気持ちが付いたり離れたりしているということの重さがある。自分自身は非コミュで人見知りが激しいもので(異論は受け付けませんよ)、きっとバレーボールに惹かれて見ているというのは、そこへの憧れもあるんだろうな…という気はするのである。
そういえば
それぞれの持ち味、ということについて深く考えさせられたのは、先の入替戦における下記コメントだった(強調:わし)。保留ということなのか、とも思ったり、否それでいいのかなと思ったり。
答えはあと3週間ちょっと経ったら出るのかな。いい答えが出ればいいな。
千々木「いずれは速いトスも打てなきゃいけないけど『今だけ高いトスを打たしてくれ』って言って、いきなり変えても駄目だから同意をしてもらえるように話した。白岩にも『速いトスは俺が打つから、お前は思いっ切り打ってチームに勢いをもたらしてくれ』と言われた」
秋季関東大学バレーボールリーグ戦 男子1部2部入替戦 | 「中大スポーツ」新聞部ブログ ~劇闘中大!中大から大学スポーツを熱くする~ | スポーツナビ+
入替戦での山本-白岩スクランブル体制もおもしろかったなぁ。両方の持ち味が出てて。
追記:はい。(2009/11/11)
おそらくおびただしい数の二段トスを打っていたであろうお方が、過去にブログでこんな指摘をしていたのを思い出した。
2段トスなんて言葉がありますが、これはブロックタッチをまだ一つとしてカウントしていたころの用語で、今では2段という状況が見当たりません。現在では、ハイセット、もしくはハイボールといいます。
http://g-blazers.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/post-730d.html