大学バレー
いまだに「中垣内が中垣内たりえたのは、筑波の4年があったからこそ」と思っている当方、川合・熊田の頃から(あるいはその前から)今に至るまで、単に学歴のために4年間のキャリアを大学に求める選手ばかりではない、と考えるところである。
体育、スポーツ、バレーボール…というあたりの専攻学生が中心のところ(関東一部男子でいえば、筑波・東海・順大・早稲田あたり)と、そうではないところ(同:法政・中央・専修・亜細亜)とでは、多少たたずまいは違うのかもしれないが。
大学バレーを見ていると、「所謂有名な選手というのは、その選手ひとりだけで大きくなっているのではない」ということをよく思ったものである。先日久々に観戦したときも思った。控えの選手、主務・庶務といったひとたち、学連、ベンチに入れずスタンドから声をからすひとたち、すべて、おのおのを育てるための財産なのだということを、試合を見るたびに感じる。
そんなふうにすごす4年間であれば、プラスでこそあれ、マイナスではないのだろうと思うこの頃。
#昔は東海ってそんなに好きになれなかったのだが、先日見たときに激しくインスパイアされたことをこっそり付記しておくことにする。