確かな記憶
きょう締切のWeb展覧会に、絵を描いて出そうと思い立った。出品費用がいちばんでかいワンコインで、それによって医療従事者にフェイスシールドが届くということで「参加することに異議がなければいいな」と思いながら、であった。
こちらの展覧会だ。
追記:ギャラリーの3ページめに収まりました。このページが削除されるまでは見られると思います。
実は最初に描き始めた絵は、出品した絵ではなかった。2枚出しを目論んでいたが、結局あとから描き始めた絵に気持ちがすっかり持っていかれてしまった。最近、朝、出勤手前で絵を描くことができなくなって、暇になった水彩鉛筆で線画を起こし、その水彩鉛筆で軽く陰影をつけながら描き始めるということをやるようになった。
出品した絵は、昨日、水彩紙に線画を起こし、ちょっとずつ色を深めて塗っていった。きょうが締切なので、今朝も起きてから少しずつ塗っていた。なんとなく、PCでYouTubeを流していた。ある時、急に耳に入った曲(初めて聴いた)があって、気になって終わり際に戻してもう一回、画面を見ながら聴いた。PVがアニメーションだったのだが、だが、が…見ていたら、急に、目頭が熱くなった。気がついたら、手に持っていたティッシュで、筆を拭っていたのか、顔を拭っていたのか、わからなくなった。
耳と目に入ってきていたのはこの曲だった。しばし手を止めざるを得なくなった。
日頃見聞きしているどこに琴線が在って、どこを触られたら痛いのか、妙に際どいところを衝かれた。まだ、自分に感受性とやらがあるんだなと思った。
よく、推しがいるだのいないだの、箱推しだの、その他いろいろ、あるんだけど、殊に、わたしにとっての音楽って、ソレ以上にめんどくさい。わたしが音楽を聴くときって、こういう出会い方をするんだなって、改めて、思ったのであった。10年くらい前に、こんなん書いてたんだなーって。
そして、そこから、ちょっと落ち着いてから、何回か絵の具を塗り重ねて、いつもよりも更に念入りに、指と腕を描き込んで、昼過ぎに、さて、出そうということにした。ただ、そこからの、(出品するために)3MBまでのJPEGにする、というところで、若干手こずったかなと。ちょとコンビニに出向いてスキャンしたが、どうも思うに任せず、結局家に帰って「そのとき」以来で一眼レフを引っ張り出して、撮って加工してヴィクトリアマイルのアーモンドアイの走りを見終わってから出品した。
いろんな記録と記憶と圧力と熱を込めた。たぶん込めただけだ。どこかで必要な誰かにフェイスシールドが届くというだけだ。そのひとたちは同じ視界にもう揃わないし、おそらく、当分、コート上も密になりえない。ただ、続いていくものを見たいし、その場に居合わせて、記録にも記録にもとどめたい。焼き付けたい。それは根拠があるかどうかはさておき、いまのひとつのねがいである。
小籠包じゃ足りない、のところで、わたし、巻き戻して、画像ごと見に行ったんだよなあ……
大丸藤井セントラルは明日から営業再開だという。明日はちょと無理かもしれないが、そのうちフレームと額縁を捜しに行こう。
エアオールスター、または、笑顔の行方
さる5/11が、V.LEAGUE機構のいうところの「エアオールスター」の投稿締切だった。なんかいろいろ思うところがあったし、準備は全く間に合わなかったのだが、最小限の規模で、ついったーで票を投じてみた。「ポジションはVリーグ機構に登録された第1ポジションとさせていただきます。」を満たしているのか、よーわからんけどね。
投票したついーとは下記の通り。なんかやらかしてそうですね。はい。
リベロ
— で ぐ ち き り (@dhalmel) 2020年5月11日
①サフィルヴァ北海道
②神園時
③初のVリーグという舞台をしっかりまっとうして更にそこに多くの表現を見ることが出来て、来季に向けて楽しみを広げてくれた感。オールスターのような舞台では普段以上に力を出しそう。来季は同期対決も楽しみ。 #Vエアオールスター pic.twitter.com/TKsP4iOHvk
アウトサイドヒッター
— で ぐ ち き り (@dhalmel) 2020年5月11日
①ヴォレアス北海道
②佐々木博秋
③プレイに艶と味を感じる。舞台が大きいほど、本人もだし周りも輝きそう。やっぱりどう戦うかは見たかったんだがね。チャレンジマッチにしろオールスターにしろ。
語彙不足ご容赦乃至は語彙不要。 #Vエアオールスター pic.twitter.com/9ac2x5jfME
セッター
— で ぐ ち き り (@dhalmel) 2020年5月11日
①つくばユナイテッドSun GAIA
②浜崎勇矢
③背と鼻と打点の高いセッター(あれ)。難しいシーズンをキャプテンとして全うした。去年のオールスターでアタッカーを引き立てるプレイが忘れられずに。たとえばあのブロード(文字数 #Vエアオールスター pic.twitter.com/2rZEHaSM0C
ミドルブロッカー
— で ぐ ち き り (@dhalmel) 2020年5月11日
①埼玉アザレア
②小島大輝
③(承前)そのブロード。いい意味でいやらしく流麗なプレイに気がつくと惹かれている。
#Vエアオールスター pic.twitter.com/EqcKspRy7l
オポジット
— で ぐ ち き り (@dhalmel) 2020年5月11日
①つくばユナイテッドSun GAIA
②奥村航
③(承前前)そのブロード。(承前)枠連3-3。「Vリーグ機構に登録された第1ポジション」が不明なのでこの票は無効に行ってしまうかもしれないが、今季のOPたのしかったのだ。まだみたいー(じたばた)おつかれさまありがとう #Vエアオールスター pic.twitter.com/niI2wpDpa7
実は枠連3-3(意味がわからない。そしてなんとなく大外から差してくるイメージ。ところで有馬記念どんなことになるんでしょうね。三密に配慮しつつお客さん入れてできるんでしょうかね)と書きたかった、という感じ。そして、この5人で構図考えて絵を描きたくてたまらんなってる。
それにしても。
きょねん、実際にオールスター見て(上記のうちふたりは現場にいた。わたしも現場にいた)思ったことがあったのだが、どさくさに紛れて書ききれずにいたことがある。
オールスターって、何を、どう、求める場所なんかな、ということである。
オールスターには、ファン投票で選出される選手と、リーグの推薦で選出される選手がいる。その場で求められていることは、どうしても、日頃のご愛顧に感謝、的な、サービス精神を発揮する部分に寄ってしまっているのだろう、と、去年報道の立場で其処にいて(と言いつつ、前半部分では私情をたっぷりはさみつつ愉しんで)思ったところであった。かなり選手に一任されたところもあったようで、ちょっと激しい会見にもなっちゃったなと振り返るが、それはそれ。
オールスター、リーグでのそのプレイの一端を、普段あまり見られない(例えばV1を見る方々にV2の選手の)姿を見て愛でるきっかけになるというような視点がくっきり写ってくるような設定があったら、それはそれで良かったのかもしれないなと思うところはある。そういった意味で(実は、去年の、あるいはDAZNで見た一昨年の女子V2では見られた感覚があるし、目に留まってた選手がいたなあと思うんだが)、是非いちど選ばれて衆目の及ぶところになってほしかった選手はいるなあと思った。ちょうど上記の5人に加えるとすればOHになるんだろうし*1、そのひとを追記するとまた緑色が増えちゃうのではあるが、いちど、オールスターで見られたら良かったなあという気持ちは、その発表のあとでさらにつのってきたので、ここに記すものとする。何かパフォーマンスをーと振られたら、そうじゃねー、ってなりそうな感じは、せんではないんだけどね。
「やっぱり小針ええよなー」と言いながら見るオールスター、というのは、いちど味わってみたかった気がしている。図らずもご本人のついーとで
別に推してるわけではないけど気になる選手になりたい
— 小針幸 (@kobari_kou) 2019年12月9日
というのを拝見したことがあって、そのとき、頷きすぎて首がもげそうになったし響いた、ということを餞のようにして書いておきたいと思ったのであった。え、餞になるのだろうか。なったらいいな。うーむ(そもそもほんちゃん*2の5人のうちのOH枠がそうならなかった理由はあるのだが、それは、たぶん当局が考える方向のオールスターに迎合したのかもしれないなと思っているし、そちらはそちらでそういう方面のオールスターで見たいと思っている。どうしてもあのチームとオールスターが噛み合わない感覚はあるんだが、そのへんにしておこう)。
…というような感じで。
最近絵を描きながらも思うのだが、過去に見たもの、それを残した写真、いずれも、今の時点では、「思い出」でしかないのだろう、と。ここから先の、次のリーグが開催されるか否か、以前に、競技が、お客さんを入れない状態でさえ、ちゃんとできるのかどうかという不安が、消えないのである。それはおそらく、現時点で当局にも答えの出ない問題なのだろうと想像される。答えが出ないからこそ、過去の試合を回帰したり、笑顔とかいう、実際のプレイとは別の次元に希望を見出したり、そういうことしかできないのだろうなと思っている。このシーズンを区切りにする選手以上に、これから現役を続ける、あるいはチームを牽引するひとたちにとっての「今後」のほうが、もしかすると茨の道なのかもしれないと最近とみに感じている。
だからどうだと云われたら、どうにもならんのだが。わたし自身、見る人として、軌道修正が要るのかもしれないな、そう思いながらも。
個人的には、なかなか笑顔を撮れないといわれているそのひとの、満面の笑顔をいろいろ撮れて嬉しかったというのはある。これからもどこかでお元気でと。
非常時のヨドバシカメラ、そして赤いサイロ
非常時である。週に1回位の休業日を交代で埋めながら、シゴトバに行って働いている。普段よりもちょっとだけ早く出勤して、なんとか密を回避しようとしている。路線も選ばないといけない、ってのはあるかもしれない。
最近、平日については、ほぼ自宅とシゴトバの往復に終始しているのだが、きょう、久しぶりに、自宅のPCに繋げる某周辺機器を求めるべく、仕事の帰りにヨドバシカメラに行った。ヨドバシカメラは、営業時間を短縮し、あいていれば混雑が予想される、ゲームとおもちゃの売り場を閉鎖した状態で、店を開けているという情報は得ていた。
いざサツエキに向かい、ヨドバシに向かう道すがら、7割方店舗が閉まった状態のショッピングモールをとおった。「当面の間」と「緊急事態宣言が解除されるまで」は、どちらがあとの日付を指しているのだろうかと素朴な疑問をいだきつつ、その道中、左右の店構えを見るだけで気持ちが重くなっていた。あそこもあそこもあそこも閉まっていた。それは、残念ではあるが、無理もないことである。
ヨドバシの前まで来て、あれ?と思った。開いているとサイトで読んだのに、閉まっているかのように、入口は静かであった。よく見ると、入口と出口、それぞれを別にし、各々扉一つを割り当てていた。入口にはスプレーの消毒用アルコールが置かれていて、店員さんが立っていた。手を消毒するべくシュッシュッとアルコールを吹きかけると、「買うものは決まってますか?」と店員さんに訊かれた。答えたら、売り場の方向を教えてくれて、そのあと「それなら、高いものしかないかもしれません」と説明された。開店してはいるが、かなりの厳戒態勢であるということが見て取れた。
建物の中に入ると、まず携帯電話の売り場があるのだが、そこの店員さんが、各々、おそらくハンドメイドであろうフェイスシールドをつけて、書類だけをお客さんと交わし、極力会話を少なくしながら業務をこなしていた。そこを通り抜けて、目的の品がある売り場へ向かった。なるほど、予算と在庫を天秤にかけると、選択肢はかなり少ない。通常、斯様なものについては、周辺数店舗を回って吟味して買うのだが、今回はそうもいかない。複数カテゴリにまたがって売られているのだが、売り場に立つ店員も少なく、疑問点の確認もままならない。別カテゴリで別商品を見ていたら、聞きたいことがあって手に持っていた商品のタグが反応して鳴り始めた。そんなつもりはなかった。応答した店員さんに手短に疑問点を確認し、もう一つ買う必要のあるものを把握し、手に持った商品を購入し、さっさと店をあとにした。これでもかというほどうやうやしくけたたましくお客さんを迎え入れるいつもの店構えが懐かしくもなり、かなり寂しい気持ちになった。店に向かったときに通ったモールではなく、外を通って、駅まで戻った。明らかに、日常ではなかった。
あまりにもかなしかったので、駅の構内で営業している数少ない店である、北海道名品を扱うところにふらっと入った。入口で、初めて、生きている(じゃないわ)赤いサイロを見かけた。赤いサイロと、チーズと、調子乗っていろいろ買った。家に帰って、家族と、そだねーと言いながら、食事のあとに半分ずつたべた。
これから、緊急事態がどう収束し、日常に近づいていくのかはわからないが、自分にとっての日常だったもの、愉しかったものが、思い出にだけなってしまい、もう同じように味わうことができないのではないかということを考えるたびに、ことばが何処かに行ってしまう。暮らしを、愉しみ方を、変えていかなければならないのか。いまと、しばらくあとと、ということではなく、ずっと。
どうして、いつも、そうなんだ。
どうして。
ここ1週間くらい、繰り返していたことばだ。
殊に、今は、新型コロナウイルス観戦拡大防止の観点で、移動も、会話も、コミュニケーションもままならず、しかも半分仕組みの問題なのかもしれないが、届け出のほうが先に通って反映されちゃったからなのか、「えっ、登録されていない人がいるぞ」というのが先に可視化されちゃって、公式のことばがあとになってついてきて、それから徐々にことばが追いついてきた。
報せというものは、いつも突然やってくる。突然報せがやってくるときには、大抵、まだ、終わったシーズンのことを振り返りきれていない。振り返りきれていないうちに、報せはやってくる。そこで見た時間がどんな時間であったか、整理ができないうちに、新しい景色を待つ日々が、勝手にやってきてしまう。
じゃあ、どうなればよかったのか。考える。考えるけれども、考えるたびに、答えなど見当たらない。公式がそうしたように、すばやく、そのときそのときを、整理していくしかないのかもしれないが、整理できないままにシーズンが終わってしまって、そこからの、今なんだろう。
見たときに「どうして」と思った。読んだときに「どうして」と考えた。仮に、じゅうぶんに時間があって、きちんと心を整理できて、其処を去る方々に、ちゃんと筋道立てて挨拶とお礼ができれば、また違ったのだろうか。あるいは、仮にそう出来たとしても、しばらく、何年も何年も、引きずるのだろうか。
このチームを見るものとして、何年分も、じゃらじゃらとひきずりながら、でもやっぱりこの場所にいるのだろうか。時間が少しずつ整理してくれることを期待しながら。いや、それでいいのか、そうなのか。
シーズンを振り返りながら、ハンケチをそっと振りながら、ひときわ、出せるものを出しきれなかった、燃やすものを燃やしきれなかった、そんなシーズンを振り返りながら。だから次のシーズンをどう迎えるのかを考えていたのだけど、おそらく、ぜんぜん違うスタイルで、次のシーズンがやってくるのだろうと考えてみたのだけど。
それぞれに、短い、難しい時間であったけれども、この色のユニフォームで、見られたことに(いや、まだまだ見たいのだけど。まだまだ見たいがつよいのだけど)、感謝をしなければ、なのだろうけれど、しなければ、と言ってる時点で、既に、わたしのことばとして、消化出来ているわけじゃないのが、ばればれですな。はい。やり直し。
新聞と本を買いました。
きょうは全国版の毎日新聞を買うべしという天の声があったので、朝、最寄りのセイコーマートに行って、その時点で店にあった毎日新聞を買い占めた(n=1)。全国版といえど、どうやら地域によってしゃしんがカラーか白黒か違うようで、わたしが買ったところでは記事のしゃしんは白黒だった。
この記事だ。
外に出たのにはもうひとつ目的があって、そのセイコーマートから徒歩10分くらいのところ、ミュンヘン大橋を渡った先にある書店に、本を探しに行きたかったのだった。先月のうちに、いちど月バレを求めてその書店に赴き、買って帰ってきたのだが、なぜだか読み進められる心境に至らずに本日に至る。きょう探して、買ったのはこの本だった。
たまたま自分が絵を描こうとするようになり、描こうとした絵をインスタに投稿し、その傍らタグを探してインスタで絵を見るようになって、それで識った作者さんだった。本を出すというのを知り、いつか手許に置きたいと思いつつ、書店にも行けない状況だったので、きょうになった次第であった。
ひとつひとつの絵と世界が響くので、何度となく読み(見)返したいなと思っているのである。
えらく天気のよい土曜日であった。ひとと接しないようにしながら、じわりと陽の光を浴びて帰ってきて、お昼を食べたあとに家で「12人の優しい日本人を見る会」の前編を母と一緒に見た。後編は明日かな。
書きたいことはいっぱい溢れている。溢れているけど書ききれないのである。次かその次辺りに、なぐるように書きたいと思っている。
昨日は素敵なインスタライブをありがとうございました的な写真を添えて。