/ja あやつる YmrDhalmel

バレーボールを見た記録が多いです。主に北で、たまに南で。

追憶のWヒロシ先生とその頼もしい教え子たち

「6番、オガワヒロシ。7番、クロゴヒロシ」
当方が初めて筑波大学のバレーボールを見たときに、あまりにも鮮烈に耳に残った試合前のアナウンスだった。6番は190cmを超える大型セッター(前年までの正セッターは現国際武道大の監督)、7番は185(だったかな)のサイドアタッカーだった。「金澤東京」の牽引者・FC東京金澤監督が1年の時の、そしてヴェルディの山中監督が2年の時(この代には堺の中垣内監督も)の4年生だった。
卒業後、このふたりは共に筑波大大学院に進み、大学のコーチとしてベンチに入っていたりした。その後、それぞれ地元(あ、ちょっとずれたか)の中核にある大学で、研究そしてバレーボールの指導にあたっている、現在福島大学監督・小川宏宇都宮大学監督の黒後洋両先生である(あ、この代はもうひとり大学院に進んだのだった。五輪代表でもあった廣紀江さん。あ、そういえば、きのう廣さんはいらしたのかなぁ)。

現在つくばユナイテッドSun GAIA(以下TUV)の攻守の要である大木・阿部のふたりについて思うときに、ついついこの両先生周りの思い出が頭を巡ることは少なからずあった。そして、実は今回の「ホームつくばの陣」は思わぬシチュエーションを生み出し、それにより、当方のカラダは更にほっこりとしたのであった。

ずっとずっと興味はあれども参加する機会に恵まれない、バレーボール学会。ことしは「チャレンジリーグの試合が展開されているアリーナの隣のホール」で開催された。つくばカピオの外に、チャレンジリーグの選手や関係者やファンに混じって、スーツ姿の大先生の姿が多々見受けられた。大先生といえば、現在代々木にも多々名伯楽が集結されている時期ではあるのだが、こちらには大学の先生をはじめとして、研究に携わる方々が大集合。ああトリバ氏はこちらの領域の人なのだなぁとかしみじみ*1

当方も直前まで、土日どちらかホールのセッションを聞きたいなと思っていたのだが、結局土曜日はすべて息のつけぬ試合、日曜日も警視庁の2位が決まる試合と重なったため、ホール行きはかなわなかった。
ちょうど第4試合が始まる頃に、その大先生たちはセッションが終わったのか、続々とアリーナへ集結してきていた。その中に、久々にWヒロシ先生の姿を見つけた。現役時代を思い起こせるとか起こせないとかそういうことはこの際問題ではない。

当方のアタマの中にWヒロシ先生カメラが内蔵された(実際にカメラを構えたわけではない)。ウォーミングアップを始めるTUVを見つめる先生方。そしてそれに応える教え子と後輩たち。ついつい教え子たちがスパイクを決めたり難しいボールを処理したりしたタイミングで先生たちに視線を向けると、とてもとてもいい表情で語り合っていたり喜んでいたりする姿が見られた。
ヴェルディ戦の第2セット、今までフローターサーブを打っていた大木が、突然ジャンプサーブを打ち始めた。最初に打ったサーブはネットをかすっていいところに落ちた。第3セットには2回連続のサービスエース。これにはさすがに度肝を抜かれたのだが、先生すら度肝を抜かれていたように見えたのは気のせいか。

ことしのTUV3位(しかも、限りなく2位に近い)というのは、正直、戦前に考えていたよりもかなり良い成績だった。天皇杯が終わって西田が抜けたときには正直どうしたものかと思った。そんなときに思い切って「外」に目を向けたのが、ことしのTUVの新しい方向性。普段大学シーンでは顧みられる機会の少なかった「関東1部以外の東」のチカラを、そしてその可能性を、TUVはそのチカラとして取り込むことが出来るようになった。
さすがに最初聞いたときにはぶっとんだが、んなことはTUV以外には出来ぬ芸当だろう。
TUVがそう決めた原動力には、既にチームの一員として先鞭をつけた存在があったのだろう。「阿部ちゃん*2」がTUVにきてくれたこと。それがいろいろなことの始まりだったような気がする。

ことしチャレンジリーグでいちばんスパイクを決めた選手と、いちばんサーブレシーブを返した選手(これは後述)、そして育てた先生と、その先生を育んだ筑波の地にて、いろいろな暖かいモノがハートを支配するそんな時間であった。

*1:その頃、古巣はえらいことになっていたようだが。ああサベットウ

*2:ジュニアの小学生にも阿部ちゃんと呼ばれる、そんな阿部ちゃん