/ja あやつる YmrDhalmel

バレーボールを見た記録が多いです。主に北で、たまに南で。

Scrap,but...

昨日、「4年前のムードを思い出す」と書いた。
その頃の全日本の状況とか本人の心持ちとか業界の趨勢とかを全く知らないままに、何故かコンビニに飛び込んで買った中垣内祐一引退試合のチケットを握りしめながらテレビで観ていたのが4年前のOQTだった。

それからのことは何度となく書いた。

しっかりくっきりはっきりと文字にしながら観ているのは2005年くらいから。

ただ勝利のためだけに|バレーボールワールド 中西美雁の日々是排球を読みながら、そのあたりの時系列とか、時系列の外にあるものとかをなんともいえず噛みしめた。

「でもね王子(ハンカチもはハニカミもいなかった頃のことなのでご容赦いただきたい)。王子が実現させようとしているシステムって、今のシステムと根本的に相容れないんじゃないの? その辺はどうするの?」

加藤はにこにこして答えた。
「一度全部壊れちゃって、なくなっちゃっえばいいんですよ。そこから、一からまた新しく作り始めればいい」

冒頭に書いた事情から、当方は加藤についてのコトバをそう多く持たない。
実は記事を読みつつ時系列がぐちゃぐちゃになったのは、その言葉自体からアタマに浮かんだのが松田CEPだったゆえ。→少しずつフォーラムとかTUV*1構想のまとめ始めておりまする - /ja あやつる YmrDhalmel
その頃は、当方もまだまだ青かった(まだ青いかも)。「あたらしい何か」に、その実態以上におおきな期待を寄せていた。その方向性をしっかりと見据えていたわけではなかった、今にして思うと。
「こうなってほしい」という形のないものばかりがおだって一人歩きしていた…

上記記事で触れられていた、朝長ひとりセッターのアジア選手権も、その流れの中で経過を追っていた。その頃も心のメインは大学バレーだった。
名前が決まったばかりのつくばユナイテッドSun GAIA*1地域リーグに参戦することが、ちょうど前後して決まっていた。大学の秋季リーグがつくばで行なわれたりもした。その中で、つくばユナイテッドVOLLEYBALLTUV)なる団体の看板のひとつである男子バレー部をぐいぐいと引っ張りつつ、TUVが行なおうとしていた「壊して創る」活動の片棒を確実に担いでいたのが、当時筑波大の主将であったゴッツこと石島雄介であった。実は一度だけSun GAIAのユニフォームを着て試合に出たこともあった
「筑波大の主将」はその後3人増えた(こちらにインスパイアされますた…ヤマウチモヨロピク)が、今でも、ゴッツの代、というのは強烈にアタマに焼き付いていて、そこがSun GAIAの起源なのだという想いはある。だからこそ、

加藤が夢見ていた破壊も建設も、起きてはいない。

とは、どうしても考えきれない。上から見ればマッチ棒の家に見えてしまうのかもしれないが、確実に「何か」は動いている。そう思いたいキモチも含めて。

TUVが起動した2005年からもうすぐ3年が経つ。
今夏の東西インカレ7月に行なわれるのだが、久々にTUVとメジャーどころの接点が出来る大会になるのだという思いはある。加藤甲斐来たると聞くと思い出してしまうことは多々あるのだが、それはそれ…
明日ピタっと決めて、次2日しっかり着地して、何とかそれで次の「第2期工事」に入りたいところ…
もう少し目に見える何かを建てたい。それを建てる何らかの支えが出来ればなお幸い。
心密かに思いつつ、明日は千駄ヶ谷へ向かう。

*1:名前の候補がもうひとつあって、それぞれの名前をつけたチーム同士で紅白→緑白?戦が行なわれた。人気投票でチーム名を決めるといったら、加藤がいた方のチーム名に決まりかけた、つーのがあったなぁ