亀田について書かず、巴戦について書く
昨日のアレなら見ていない。
が、404 Blog Not Found:亀田と巴戦を拝見して、妙に興味深いテーマと思ったので、そのことについては調べて書いてみようかと思った次第。
子供の頃は、相撲に八百長があると大人が言うのを聞くとキキーっとアタマに血が上ったものであるが、最近はそんなこともあるのかな〜と受け流している。自分の中のどこかで、相撲の見かたとスポーツ全般の見かたを分けているのかな…という気はしている。
亀田の結果を聞いて「えぇぇぇ〜」と思ってしまった当方は、まだボクシングをスポーツの仲間に入れて見ていたのかなぁ。
あ、話がどんどん巴戦からずれていくのでここで修正。
巴戦とは、3人の力士が相星で並んだ場合、優勝決定戦をおこなうレギュレーションである。相星のものが5〜6人の場合に、3人に絞り込んでおこなう場合もある。
相撲はふたりで取るので、最初に取らない力士が控える。最初の一番で勝った力士と、控えにいる力士が闘い、2回続けて勝った力士が優勝…となる。
幕内最高優勝を決める決定戦では10年くらい行われていないが、今年の夏場所(5月)に十両で3人の力士が相星となったことがあり、そのときの巴戦はかなりの熱戦となった。この決定戦は記憶に新しい。
この巴戦の決めにはいささか割り切れないものを感じていたが、何故だか考えたことはなかった。前述のエントリーでも触れられていたし、相撲の巴戦 -前に誰かに聞かれた問題です。大相撲で三人の力士の勝敗が- 数学 | 教えて!gooの答えにもあったが、統計的には、控えに回る力士が優勝する確率が低く抑えられてしまう、微妙な不公平感があることに、今更ながら気がつかされた。
さて、実際におこなわれた巴戦、そのとおりにことが運んだのだろうか…?!
http://www2.tba.t-com.ne.jp/tamaro/newpage2-21.htm(タマローの部屋)に、幕内最高優勝で行なわれた優勝決定戦の一覧があがっている。この内容を参考にし、巴戦の顛末を追ってみる*1。太字が優勝力士。区分の「○」は緒戦出なかった「○」力士が優勝した意。
年・場所 | 成績 | 勝者 | 緒戦 | 控え | 区分 |
---|---|---|---|---|---|
S31春 | 12-3 | 若ノ花→朝汐→朝汐 | 若ノ花、若羽黒 | 朝汐 | ○ |
S36秋 | 12-3 | 柏戸→大鵬→大鵬 | 柏戸、明武谷 | 大鵬 | ○ |
S40秋 | 12-3 | 柏戸→柏戸 | 柏戸、明武谷 | 佐田の山 | |
H02春 | 13-2 | 小錦→霧島→北勝海→北勝海 | 小錦、北勝海 | 霧島 | |
H05名 | 13-2 | 曙→曙 | 曙、若ノ花 | 貴ノ花 | |
H06春 | 12-3 | 貴ノ浪→曙→曙 | 貴ノ浪、貴闘力 | 曙 | ○ |
H08九*2 | 11-4 | 武蔵丸→武蔵丸 | 武蔵丸、曙 | 貴ノ浪 | |
H18夏_十両(参考) | 10-5 | 豊桜→皇牙→寶智山→豊桜→豊桜 | 豊桜、皇牙 | 寶智山 |
意外と控え組が勝っているなぁ…と最初は思ったが、顔ぶれを見ているともともとの力士の格のようにも見えてきてしまって、バイアスかかってわろし。最近の十両の巴戦が面白かったのは、幕内と違って、地位によるバイアスがかからなかったからかなぁ。
平成初期は二子山部屋勢が多すぎて、決定戦でなければ実現しない取組がけっこうあったのだなぁと思い起こす。そういった同部屋対決だの、平成5年名古屋場所、曙がストレートだった故に実現しなかった若貴対決だの…というのを鑑みると、まぁそりゃフェアだフェアじゃないという次元じゃないところで相撲は動いてるんだなぁとは思う。
#まぁそれで、角界に飛び込んできた外国勢との溝が表面に出てきている、のかどうかは知らない。