「プレイしたい」と「プレイを見たい」と、その間に在る「無観客試合」の言い換えについて
ダンスは済まない。
まだまだダンスは済まない。
ようやく各チームが練習を再開したり、次のシーズンの「様式」についてVリーグ機構が方向性を示したり(ただし寝込むブイリーが可愛すぎて内容はアタマを抜けていく。いかん)、次のシーズンへ向けて新しい体制や選手の加入など、大きな発表が続いていたり。しかし、まだまだこの先、見えないことが多すぎる。
中止になった関東(あ、中止は関東だけじゃないが)大学春季のプログラム*1を、学連が通販してくださったので、それを注文していて先日届いた。おそらく関東のプログラムを入手したのは1年ぶりくらいなのだろうと思う。ようやく主将や体制がわかった、という大学が大半である。ほんとうにありがたいことであるが、ここに載っているほとんどの選手が、その時点で練習もままならない状況だったのだとあらためて感じ入るところではある。
ここ数ヶ月、バレーボーラーの「バレーがしたい」という叫びや呟きや心の叫びに触れている。それはこどももおとなもそうだ。したい人が出来ないということと、見たい人が見られないということは、重なり合う部分は多いが、別の次元の話でもある。
きょうになって、日本トップリーグ連携機構というところが、「無観客試合」の言い換えについての、案の募集を始めた。この機構の中に属するリーグが、「無観客試合」を始めることに起因するのだろうかとはあとで気がついたが、Vリーグなど、開幕がもう少し先にあるリーグを見るうえでも、それを念頭に置くことを避けて通れないのかと。
日本トップリーグ連携機構では、無観客試合に代わる名前を募集いたします。各リーグとともに、皆さんからポジティブで素晴らしいネーミングが届くのを楽しみにしています!
— 日本トップリーグ連携機構(公式) (@JapanTopLeague) 2020年6月2日
6/9までに #無観客試合を変えよう をつけて投稿するだけ!奮ってご参加ください!
↓詳細はこちらhttps://t.co/Z2A6aTsZXf pic.twitter.com/0oSH8YILr0
「無観客試合」というのは、観客として、その場に居合わせる人がいない試合のことであると認識する。
通常のシーズンでも、現地に見に行きたくても見に行くことの出来ない試合はたくさんある。自分の見(られ)なかった試合の行方を追いながら、しばしば物思うことはある。エア観戦などと言いながら、おそらく、今まで、見られなかった試合と同じように、中継(あればラッキー)やライブスコアを追いながら、あるいは後追いしながら、考える。どんな経過であったか、何がその結果を左右したのか、勝敗や展開を決めたのはなにか、誰が活躍していたか…。
「無観客試合」についても、見る(あるいは知る)手段があってほしいと思い、時間が許せばその手段に触れるのだろうが、通常時のエア観戦とおおきく異なるのは、そこには試合をする当事者、関係者、運営、メディア…しかいないわけであり、現地で見ていた人の考えを参考にすることや、ファンの目線での様子を知ることが非常に難しくなることだ。
それでも思う。観客があろうとなかろうと、試合は試合だと。
お客さんが入る試合かどうかは1か10かの問題。
— で ぐ ち き り (@dhalmel) 2020年6月2日
試合があるかどうかは0か1かの問題。
0に何をかけても0。
だから乗り越え方が尋常じゃないんだろうなと思ってる。
何はさておき、いまは1を祈ろうという個人的な思い。
試合がおこなわれることからこそ、拡がっていくことがあるのだと。先日も書いたが、まず、試合がおこなわれるということに、高いハードルがありそうだから、今は、少しでもええ方向に進んでほしいと願うばかりなのだ。「無観客試合」であっても、その「試合」を開催することの大事さと難しさ、そして痛みを思い出しながら、これからの時間を過ごしていきたいと思っている。
*1:中止になった旨がはっきりと表紙に印刷されていた。つまり、学連が、中止を決めた上で、なお、プログラムを刷って提供しようとしたのだということだ。それに気がついてほろりとした