/ja あやつる YmrDhalmel

バレーボールを見た記録が多いです。主に北で、たまに南で。

ぷれいばっく:2009年10月18日

きょうの東レのWSが瀬戸口-大木対角になったと聞いて

東レにどういう事情と作戦があったかは知らないが、リーグの3周目(ラスト1周)の緒戦、あと1勝すれば4強入り(セミファイナルはたのしい花巻行き)が決まるという局面で、東レは新人の瀬戸口をスタメンで起用した。劣勢の続いた東レは第1セットの途中に大木が交代出場、以後ファイナルセットの土壇場までこの対角WSによる戦いが続いた。東レが逆転で勝利を収め、セミファイナル進出一番乗りを果たした。

本日のあやつるあーかいぶす(謎)は、さる2009年秋季リーグ最終戦へタイムトリップしてみる。というか…最近どうにもこうにも、この時期のことを思い出すことが多くて、この時期のエントリを読み返すことが多くて。
もっとちゃんと書き起こしたいのだが、部屋が寒いので断念(ぇ。

ここまでのあらすじ

たぶん東レに入る前に見ていた3年余りの間に、大木貴之という選手から一番びしばしと何かをくらっていたのが、2008/2009シーズンのV・チャレンジリーグつくばユナイテッド所属で2シーズン目)からの1年弱だったと記憶している。前年の秋リーグ途中に足首を痛め(それでも強行出場していたが)その影響で宇都宮大学は3部に降格していた。何といっても、宇都宮大学といえば「大木があれやそれやこれを高水準でやって押し上げてきたチーム」であった*1
チャレンジリーグ終了後の2009年春季リーグで、宇都宮大学は3部をぶっちぎり優勝、入替戦も制して2部に戻ってきた。秋季は約1年ぶりの2部に於いても快調に飛ばし、上位リーグに進出してなお1部の入替戦出場を窺う位置にあった。
このシーズン、当方は「1部メインで見るけど、スキを見て2部も見に行くぞ」というスタンスで臨んでいた。なので、確か、リーグ前半にも足を運んでいた。後半にどうしようかと考えていたところではあった。

この2009年秋季というシーズンは、新型インフルエンザの流行が、各所に大きく影響を与えていた。1部に関しては、前半から中盤にかけて、欠場する選手の名をちらほら聞きつつもなんとか日程が消化されてきたが、結果的に7試合総当たり終了後、(8試合消化したチームもあったが)1部リーグは打ち切られた。
その報せを受けて、当方は最終週、土日通しで2部に行くことにした。
駒澤大学二子玉川キャンパス。土曜日は着いてみたら中央大学ご一行様を背に観戦する運びになってしまったので、細かいことはよく憶えていない*2。既に全勝の国士舘大学が入替戦圏内への進出を決めており、もう1枠を巡って宇都宮、慶應、駒澤が争うというような図式になっていた。
宇都宮はその2番手グループの中では優位に立っていたが、最終週を前にして正セッター(ほぼひとりでトスを上げていた)堀込(当時3年、現宇大コーチ)が負傷、土曜日は駒澤に敗れて一挙に窮地に立たされた。残すは最終戦。最終戦の相手は、土曜日も勝利して全勝を守り、1位通過を確定させた国士舘

9試合が終わった時点ではいろいろな状況が想定されたのだが、結果的に、「宇都宮は2セット以上取れば2位、それ以外であれば慶應が2位」というところに落ちついた。そして、最終戦を迎えた。

記事

関東大学リーグ14日目 - /ja あやつる YmrDhalmel
このときの形のまま思い出す。いろいろなことがあったのだが、「国士舘が切った浜田というカード」と「何故か動きの固かった大木」というのが、いろいろ響いたのだろうと振り返る。

21-21から、宇都宮は国士舘のサーブミスをきっかけに、一気に24-21とセットポイントを掴んだ。しかし、そのポイントを石川が返して以来、サイドの変わらないまま、デュースにもつれこんだ。更に、続く石川のサーブの中で、どちらのコートにもボールが落ちない、これでもか、というばかりのラリーの末、セッター浜田がライトからの強打で決め、国士舘が逆に25-24とマッチポイントを掴んだ。

デュースは続き、宇都宮は武田の連続ポイントでもういちどセットポイントを握ったが、次のプレーでドリブル。大木のスパイクがアウトになって再度国士舘がマッチポイントとなると、最後は調子の上がってきていた瀬戸口が決めた。

関東大学リーグ14日目 - /ja あやつる YmrDhalmel

ここからのあらすじ

国士舘は全勝優勝で2部での優勝を果たしたが、1部を最下位*3で終えた中央大学との入替戦で勝てずに2部に留まった。結局リーグでは国士舘にも宇都宮にも勝てなかったが、接戦を制して2位に食い込んだ慶應が、1部で上と僅差の7位になった筑波を下して1部への昇格を果たした。
入替戦って、何度見てもわからないものである。(→この年の暮れに書いた:今年見た「入替戦」を振り返る - /ja あやつる YmrDhalmel
宇都宮の爆走はここがひとつのピークであったように思う。大木はこのシーズン(2009/10)も冬はつくばに参画するが、前シーズンまでほどは出場機会に恵まれず、4年生のシーズンもキャプテンとしての務めという部分とのバランス、怪我などもあって、すげーよ、こえーよ、という状況とまではいかなかったかもしれない。あくまでも見た者としての印象として(今にして思えば東レ内定との絡みだったのかもしれないが、夏過ぎにつくばの登録抹消があったのでちょと個人的にテンションが下がった部分はあった…のは否定しない)。この選手にとって、宇都宮というチームをその次に繋げることの優先順位が高かったのかもしれない(実際、昨秋になって宇都宮大学は初めての1部への挑戦を果たした)。

東レは堅くて渋いチームだと思ってみていたし、今もそうだ。3人(もうひとりは言うまでもなくポジション渡辺俊介)の新人(もっといえば、その前に入ったカリスマさん)をどう起用して、どうチームの中で活かしていくか、というのは、見えるようで見えなかった。否、実は今でもよくわからない。しかし、きょう現地からいろいろ入ってくる話の端々から、この記事でクローズアップしてみた試合のことなどを思い出してぐーっと胸が熱くなっていたのだけは事実だ。

折しも、きょうの試合が行われていたのが東京体育館で、チャレンジ上位リーグの開催場所が島根だった…というのは、なにかの偶然だったのだろうか。

追記

忘れてた。
宇都宮は結局2009年の秋季リーグを6勝4敗(セット率で慶應に及ばず3位)で終えたのだが、リーグの序盤に下位(リーグは7位に終わり、入替戦で敗れて3部に降格してしまった)の中央学院大学に痛い黒星を喫していた。結局最後の最後になってこの黒星が効いてきてしまったのであった。この時の中院は4年生のいない布陣で、2年続けて主将を務めた橘裕也、この頃から大器の片鱗はそこかしこで見せていた手塚大などがいた。中院怖いだったのである。

*1:それはこの年いっぱい続いたと記憶する

*2:「大木さんはボクサーみたいだ」というのだけ聞こえたが

*3:まさかの、とつけられる向きはあるが、その部分はいちふぁんとして保留する