/ja あやつる YmrDhalmel

バレーボールを見た記録が多いです。主に北で、たまに南で。

「小さくなっていく」中で

昨日から、ニュースを見たり新聞を買ったり出かけて帰ってきて寝て起きて出かけて帰ってきたりした。
その間、考えていたところのことをアタマの中でまとめていたら、概ね以前書いたモノの焼き直しになりそうだと気がついた。

スポーツ選手はその技量を上げるために、日頃の練習などを通じていろいろな努力や工夫をしている。チームはゲームに勝つために、その選手個々の底上げを図り、更にチームとして強くなっていこうとしていく。
しかし、選手が選手としてプレーをし続けていけるための力の注ぎどころはそれだけではない(はずだ)。プレーをする場所を確保していくこと。プレーをし続けるための働きかけや研鑽をしていくこと。それが非常に重要で、難しい状況になっている。実際のところ、個々の選手は、どの程度認識したり、危機感を感じていることなのだろうか。それが気にかかっている。

尤も、プレーをし続けるための注力よりも、まずはそのプレー自体を磨くほうが先、という考え方は、小さいときからの積み重ねの中で主流にあるのだろう。プレーを磨くことによって見いだされた選手は、次のステージに進んでいるわけであるし、これまではそれでよかったのかもしれない。

しかし、次のステージというのが、いつまで今と同じように存在していくのかは、わからない。学生以降にガチで競技を続けていける場所は、このままだと、どんどん小さくなっていくのだろう。
選手を続けていって、着地する所は「ひとそれぞれ」なのだろうけど、その「ひとそれぞれ」が、ベストになりうる状況なのか。今は、また、これからは。

ここのところ、いろいろな試合や練習を見る度に、なんだかざわざわとした心の動きが止まらない。「ようやく出たチームからのリリースがそれ」な、NECの「休部」発表を耳にして、ますます増幅している。

バレーボールを見るのはたのしいが、このあたりを考えることはあまりたのしくない。個人的に、バレーボールを見ること自体がたのしくなくなる状況は、もう、極力避けたい。