/ja あやつる YmrDhalmel

バレーボールを見た記録が多いです。主に北で、たまに南で。

『至宝』のその先


いつだったか、関東学連が、試合会場で各大学ユニフォーム型ストラップ*1を売っていたときがある。或る大会で、そのストラップに好きな番号を入れますよというサービスをしていたので、つくっていただいたのが↑コレである。その頃、現役世代にはこの番号は既に存在していなかった記憶がある*2
番号を入れてくださった学連某氏に「筑波を応援し始めたときに、応援していた選手の背番号」という、よくわからない説明をしていたような記憶がかすかにある。

実はこれ、中垣内(筑波2年)当時の背番号である。あ、15はその次の年ね。

堺ブレイザーズのWebサイトに掲載された、中垣内祐一監督勇退コメントを読んだ。堺入り前までのことや、これからのことがアタマを駆け抜けた。

実はこのコメントの中でいちばん印象に残り、さまざまなことを思い出すきっかけになったのは、

上手くいかないときに、多くの方から強い叱咤をいただいた事も私に力を振り絞らせてくれました。それらの言葉に、時には憤慨したこともありますが、それらを発奮材料にでき、温かい激励の言葉と併せる事により私を後押ししてくれました。

という一節であった。

この選手が大学生の(特に4年になる前の)頃、当方はよくいろいろな憤りをことばにした。とにかくやること為すことすべてデカ過ぎて*3、チームが敗れるに至るでかいミスを引き起こす、ということが少なからずあった。
まぁかなり末端の、本人も憶えているのかどうかわからない時分のことなのだろうが、ほんのちょっとでもその時に感じて送ったキモチがどっかの血肉になっているのであれば、これ以上の喜びはない、と思ったのである。
わたしは非常に天の邪鬼で、素直に暖かい激励とか応援とか「がんばって〜」ということを伝えたり、口にしたりすることをそううまく出来ずに現在に至っている*4のだが、それでも何かが動いているのであれば。
#「見る者が腹を立てるのは筋違い。そう思うのであれば自分がやってみろ」という論調。大学の時は…そこからはかなりかけ離れた状況で見ていたなぁ…。そこまで出来ないから選手としてあるわけではない、という以前に、競技を経験していない者に書けないものなのか、というのは、今でも当方の中には命題として存在している。

各国のリーグ運営等も学び、帰国後は日本のバレー界に対しての恩返しもできればと漠然と思っております。

そして、バレーボールの今後のために、というのを楽しみにしてみたい。
一見、上のおおきな力に操られているように見えて、実はしたたかにその先を模索しているということを信じて楽しみにしてみたい。
当方が今楽しみに見ている世代の選手とサシで次の目標を目指す*5ということ、バレーボール「界」の将来のカタチをつくっていくということを、全力で楽しみにしてみたい。
恩返しじゃなくて革命だったりね(;゜д゜)

バレーボールを、これからも夢をもって見続けることが出来るように、期待をしつつ、わたしは静かにこのバレー人の上首尾を願う。

*1:ストラップ型ユニフォームではない

*2:確か1年のときの菅が24だったなぁ

*3:たとえばね、チャンスボールを思いっきり打ってアンテナに当ててアンテナを折ったりね

*4:大学最後は最大のチャンスであったのだが、諸事情ありて…

*5:まぁそういうことになるんだべ?