/ja あやつる YmrDhalmel

バレーボールを見た記録が多いです。主に北で、たまに南で。

読む、書く

週末は東日本インカレどっぷりで、帰宅してからもめいっぱい書きまくりモードであったが為に、日本代表のサッカーは全然見ていなかった。
その状態で読んだ宇都宮氏の署名記事にはいろいろと物思うところはあった。このひとの文章にはそれ故の味わい方ってのはあるんだろうとは思う。それぞれの守備範囲、っつーのかなぁ、なんつーか…というのはさておき。

ずっともやもやと思いつつまとめられなかったことが、その文章に絡めて【お知らせ】 92万アクセス御礼:ベリーロールな日々:So-netブログでぴしっと書かれていた。ついつい膝を打つ。

こうしてバシッ!っと書ききるライターが活躍できる場があること、そして、それをファンが理解し、望んでいて、きちんとビジネス・文化になっていること、この辺りがすばらしいなあ、うらやましいなあと思います。

ずっと思っていることはそれなのだ。と勢いでトラバ。個人的に、一時期バレーボールを観ることがきつくなって、妙にサッカー界隈の居心地がよかったのは、それこそJリーグが始まる頃で場が浮ついていたようにも見えた時期にもその「姿勢」がはっきりと存在していたからだったのだと思う(それを必要以上にいいなぁと書くのがこのエントリーの趣旨ではない)。

現在国内で唯一定期刊行されているバレー雑誌が、実質JVAの御用?機関誌?になっているということもさることながら、バレー記事の読み手自体のニーズにも絡んでくる問題なんじゃないかなとは考える。
#まぁ、鶏が先かタマゴが先かっつー話ではあるが。

OQTが終わって、Numberに署名記事を書かれた市川忍氏は、自身のブログにもかなり突っ込んだことを書かれている。市川氏は、ブログに書く記事と活字になる記事とは明らかに一線を引く、とブログに明記されているが、それにしても、こっちが活字にならないこと、それこそがこの業界界隈の限界なのか…?それが、実は直後に出たブログエントリーについての率直な感想だった。
ライターさんは、地道な取材の積み重ねを経て書いた記事を発表する場所が不足しているとおっしゃるが、実は読み手も良記事に飢えている。このアンバランスは、どこで解消されるのだろうか。

実は「V-M-S」という、バレーボールファン主導の男子バレーボールポータルサイト立ち上げに絡むときから、当方の中に、そのあたりのギャップを、ファン自身のチカラでどのくらい埋められるか、というテーマは存在している。
はてなブックマークの注目記事(たとえばもう専業ライターという職業は成り立たなくなる、もしくは「石田衣良化」について - 【B面】犬にかぶらせろ!とかブロガーとライターの違い - 萌え理論ブログとか)を経由して、ライターとブロガーの在り方について考える機会はあった。それを見て思うことはあったが、あくまでも当方は「観戦者」でしかないことを自覚するにとどまった。
書くことにより対価を得ていない(けれども、時としてPRESS的な動きもする)V-M-Sの活動を支えつつも、普段は「選手や関係者」「ライター」「ファン」みたいな違う色のパスをぶら下げてそこにいる感は否めない。注目記事についていたブクマコメントで「サッカー絡みのブロガーが職業ライターに転身した」ケースがあることを知ってほぉと思ったが、それも「そういう」文化のなせる技なのだろうなと思うに過ぎない。

当方の行動範囲、その界隈で、ブロガーが「何をするひと」として在るのがよいのかはよくわからない。わからなくなった。
ただ、ここ数日、そして今書いているこの記事をあげるに至るまでの数ヶ月の思索を経て、今後ただただ自分の見るもの、そこから感じることを一生懸命書いていきたいという思いが強くなってきた。
そこからまた何かが見えるかもしれない。見えなくなるかもしれない。でもそれも通り道のひとつということだ、たぶん。