/ja あやつる YmrDhalmel

バレーボールを見た記録が多いです。主に北で、たまに南で。

知られざる相撲人の世界

たまに思い出したようにつらつらと読みに行くのが「サービス提供終了のお知らせ」。
「寶暦 7年10月以降の幕内力士(1390名)と昭和以降の十枚目力士(375名)」のプロフィールが独自の味わい深い文体で紹介されているのだが、何かと「へぇー」と唸ってしまうネタが満載である。

たとえば泉州山。

諏訪錦の名は「あわじ屋」が在る諏訪森町に因んだが、長野巡業で名前が放送された時に御当所力士と間違えられて凄い拍手が起こり、具合が悪いと思って両親に泉州山と命名してもらった。

泉州山は堺出身。そういうことがあるんだなぁ…

岩木山ってすごい。

監督からは日本大学への進学を強く勧められたが、東京は住む所でないと思っていて憧れは無く「青森県は高校相撲では強豪校が揃っているのに大学となるとさっぱりだ。青森大へ進学して名前を高めるんだ」と言い張って断った。

それだけでも凄いと思ったが、さらに続きが。

卒業した後は大学から勧誘されて青森山田学園の寮で職員を務め、社会人として国民体育大会や全国教職員選手権で活躍したが、平成12年 2月に高校の同級生が交通事故で没したのを機に「 1度しか無い人生だから今できる事をやっておこう、最高の檜舞台で相撲を取って彼に喜んでもらいたい」と入門を考え始め、 4月末に高校時代の相撲部監督の弟と偶然に青森空港で会って元 舞の海を紹介され、入門について相談すると中立部屋を紹介してもらったので、 6月に退職して入門した。

ちょうど次の場所から幕下付け出しの規定が変わったというのはさておき。

そしてさらに

15年に青森大学大学院の環境科学研究科環境教育学専攻を受験して合格し、史上初の現役大学院生力士として話題に上った。

こんな岩木山の趣味は競馬研究なのだそうである。そして本日はダービー(強引)。