「ひゃくねんつづきますように」
ちょっと前に、Vがつかない方のプレミアリーグで、レスターというチームが、チームが出来てから133シーズン目に優勝したと聞いたときに、わたしのだいすきなチームが、ひゃくねんつづいたらいいなと、不意に思ったものであった。思うだけなら、いくらでも、いいでしょ。と。
[ハナミズキを熱唱するたきざわせんしゅ]
自分がどう考えても見届けようのない何かに思いを馳せるってのはあるのだが、最近それはどれだけ届く思いなのか、というのも、併せて考えてしまうのである。
わたしが希いたいおおくのとしのなかの、1シーズンとか2シーズンとか、それを彩るものが、ひとつひとつ意味を持っていられればいいんだろう、けれども。
どういうふうにねがいたいのか、よくわからなくなりつつも、いろんなことを考えた、さきの週末だった。また、すこしずつ。すこしずつ。
追:このついーと、このこと書いてた。
大好きですよをだんだんうまく伝えられなくなってきた。そして、わたしにそれを伝えられたところで対象には意味があるのかな、もっと意味のある相手がいるのだろうから、そっちを向いているのならそれでもいいよな、そんなことを思うことも少なくなくて。