/ja あやつる YmrDhalmel

バレーボールを見た記録が多いです。主に北で、たまに南で。

ぷれいばっく:2012年4月1日

札幌在住1000日を越えたので(カウンターの桁が上がったときは、ちょうどいはらきけんにいたときだったけど)。
このエントリ、けっこう珍しい部類かも知れない。

誰に何を言われようと、指摘されようと、自分の記憶の中に入っているのは、自分で見た試合だけなのだから

卒業 - /ja あやつる YmrDhalmel

自分の記憶の中に入っていない試合について、書こうとしているのだもの。

2011年の後半、それまで住んでいた関東の住まいを引き払って、札幌に越した。いろいろな切り替え、立て直しを、年をまたいでやっていた。いろんなこととどう向き合って良いかわからず、天候の厳しさにも、今まであたりまえだったものとの距離にも、もの思うところがおおきすぎた。このシーズン、3月に入ってから、V・プレミアリーグのレギュラー最終週(堺)、そしてセミファイナルラウンド(花巻)に足を運ぶのが精一杯だった。
このシーズン、ついにサンガイアを見ることがなかった。まさに「空白の1シーズン」だった…(記念の缶バッチが手許にあるが、それは、翌年の3月に会場で手に入れたものだった)。

チャレンジマッチでの組み合わせは大分三好-つくば、JT-ジェイテクトとなった。大分三好は堺でいちど見ていた。勝ったところも見ていた。何をどう憶えていたのか、よくわからない…というのは、前に書いた。とにかくつくばを見ていないシーズンなので、どういうことになるのか、見当がつかなかった。過去のついーとを振り返ると、突然思い立って飛び立とうとも思ったみたいなのだが、実は花巻から帰ってからけっこう酷い風邪を引いて、それがようやく回復したかしないか、というあたりだったようで、結局飛ぶには至らなかった。

結局、この年のチャレンジマッチ、つくばは3-1で先勝したが、翌日大分三好が3-0で勝ち、セット率の差で入れ替えには至らなかった。JTジェイテクトは残留し、翌年、ジェイテクト大分三好が入れ替わった。

つくばの「V・プレミア昇格」は、まだ、届かぬ悲願のままだ。

当日わたしは出かけたり、この試合に間に合うように帰ってきたりしていて、試合の流れはライスコで追っていた。どう考えても、ただひたすらつくばの勝利を祈り、手を合わせ、叫んでいた。結果が出てきてしまったときにはそれこそ何日も何日も、からだのちからが抜けてしまっていた。

だから、あえてその試合について、この目で見て振り返ろうという気持ちには至らず、ここまできていた。

急に気になり始めたのが、この前見た加藤さんの「裸のアスリートII」で、この試合の映像が一瞬映ってからだった。自分が憶えていない試合の記憶。そして、ネットのむこうがわに垣間見えた、キャプテンマークとか。

この前、YouTubeで、このチャレンジマッチのさいごのセット、その後半を見た。前のエントリからリンクを貼っている、そのムービーだ。つくばが「このセット行けるか…」というリードを取っている。ネットがあって、その手前に大分三好、奥につくば、だった。つくばがリードを拡げて、大分三好タイムアウトを取った。

嗚呼、なぜわたしは手前を見て、ほろほろと何かを流しているのだろう。

そのときコートに立っていなかった選手が、入れ替わり立ち替わり、コート内の選手を鼓舞していた。そのときわたしは映像を目の前にしていなかったのだが、たぶんそうしていたときとはまた別の気持ちがぐるぐるしているのだろう。2014年になって、2年前のそれを初めて見たという。

あのとき、ギリギリのところで、大分三好が急激に追い上げて追い越して、つくばをかわした。勿論それを喜び合っていたひとたちが、そのときにつくばが突き破れなかった何かに、今は立ち向かいつつあるという、そんなことを予想することなど、出来ただろうか。
どちらのコートも、半分以上入れ替わっている。帳票が探せない(のは自分が悪い)ので、細かいところは、よくわからないけれど。
いろんな偶然と必然についてもの思う。自分があの場所に居合わせられなかったことも含めて。

…それが、2年前の「そして大和」だった。
["INVICTUS" 2014]