/ja あやつる YmrDhalmel

バレーボールを見た記録が多いです。主に北で、たまに南で。

夢と能力と発揮場所と未来と


この質問文を読み、何かと考えさせられたことのメモ。

この「松下さん」は、ドラフトに関する種々の記録を見ると、1971年の慶応・松下勝美氏であることがわかった。社会人に行って野球を続けた後、会社の社長になったとか…ぐぐったものをつなげていくとそういうことらしいのだが、確実なソースのないものの寄せ集めだから回答にするのはいいやヽ(´―`)ノ

さすがに「松下さん」まで遡ると古すぎてわからないのだが、記憶の範疇でもプロに行きそうで行かなかった選手というのは何人か思い浮かんだ。
調べていた過程で見つけた
前評判が高かったのに指名されなかった選手
のスレがなかなか面白かった。

127 :神様仏様名無し様 :2005/12/20(火) 22:09:28 id:SVh4Xb5J
当時の企業は景気がよかったから、プロ絶対拒否なんて選手がゴロゴロいた。
まじ、下手なプロチームより上のノンプロチームはあったと思う

松下電器の控え投手で殆ど出番がなかった福井という投手が
ドラフトのいの1番、真っ先に指名された時代。。

137 :神様仏様名無し様 :2005/12/21(水) 18:50:17 ID:4cCWEXk4
>>127
> 当時の企業は景気がよかったから、プロ絶対拒否なんて選手がゴロゴロいた。

だいぶ時代が遡るが、プロから誘われて断った選手の言い分が、
「だって給料が下がるんだもの。嫌だよ」だったりもしたらしいね。

今からすると考えにくいのだが、当時は社会人野球のステータスが高く、また、かなり安定しているご時世であった、というのが、率直なところなのかなぁ。

野球選手として、プロから声をかけられるレベルであるということだけですげーことだと思うのだが、それがその人の人生にとって幸いするかどうかはまた別のことである。
一昨年「NHKにんげんドキュメント」で放映された箕島-星稜で延長18回を戦った選手たちのその後、を見ていた際、結局大卒後社会人に進み、野球引退後会社での出世もし、余暇で野球への貢献もして…というひとが一番勝ち組でしたありがとうございました〜みたいな話の進み方に軽く違和感を憶えたのだが…うがちすぎですなぁ。
そう思って後を追う人もいるのだろうけれど、プロに入りたいと願う人もいるのだろうし、そのあたりは変わらずなのだろうが、プロ野球がいつまで今の形であるかは謎だし、うむ…。

当方が中学生くらいの頃に、応援していたチームのある二軍選手にファンレターを書いたことがあった。その選手はチーム応援雑誌に名前や顔が出る程度の選手で、結局大成することなくプロを去ったのだが、プロを去る際に(こんなよくわけのわからない中学生にまで)「これまで応援してくださってありがとうございました。これからの人生も頑張りますのでよろしくお願いいたします」という挨拶葉書をご丁寧に送っていただいて、やけに恐縮した記憶がある。
このことを思い出して、ふとその選手の名でググってみて驚いた。その選手は、現在某国会議員の第一秘書を務めているらしい。