○○を見に行(hoge)く
その(hoge)の中に言外になにかを代入するような状況が苦手なんだろうな、たぶん。…そう思いつつ、豊平川の河川敷で花火を見ていた。
たとえばその(hoge)に代入される何らかの文例。
- 「そうけいせんをみにいってめんばーのこうりゅうをふかめる」
- 「はなみをしながらあれこれかたりましょう」
目的が2つ…というのともちょっと違って、目的は括弧内にあるのが言外の第一義なんだろうな、というような。
んだもんだから学生の頃に「○○をするためのサークル」に入ったつもりだったのだけど、括弧内のナニカが拡がっちゃったような状況に耐えられなかったんだろうな…と。
ほんととことん使い道に乏しいひとだったのかな、という感があってだな。
なにかに「打ち込める」のは幸せなことなのだろうなと日々観戦しながら思っているのだが、その「打ち込んでいる」かたがたが、ちゃんと括弧内に何かを投じつつ日々を過ごしているであろうことを想像して鳴きたくなることは、ままあるのだ。