/ja あやつる YmrDhalmel

バレーボールを見た記録が多いです。主に北で、たまに南で。

「学校」と折り合わないとバレーボールが続けられない件

ここ数週間暖めてくすぶっていたことについて少々書く。

最近学校や教育に関するキーワードが多く世の中を飛び交っている。それぞれに思うことはあるのだが、思うように吐露できなかったワタクシ世界史未履修者*1ですが何か。

Rio de Fevereiro
なんどか書いていると思うがいじめ問題の解決は簡単といえば簡単ですよ - finalventの日記
このあたりの文章を読んで個人的に頷くところは多かった。当方の場合、中学あたりから、野球だのバレーだのを応援する仲間を、学校の外に求める事が続いていてそれは現在に至る。学校で居場所があるかないか微妙な時期も、それ(と、親や家族の見守り)で乗り切ってきたというのはわかる。

しかし、一バレーファンとしてこれらの問題を考えると、割と早い時期に壁に当たってしまう。

昔も今も(もしかすると今のほうが露骨に?)、バレーボールって学校に普通に通えて、学校の先生や仲間と仲よぅしていかないことには、選手としての大成が望める場所がない、んじゃないのっていうことを思い知り、それからアタマがループし始めていたのだった。
普段からよく観ている大学バレーだって、そうやって高校までの時期を(いろいろな意味で)乗り切っていかないと辿り着けない場所なんだと、そう考えるとちょっと頭が重くなった。

サッカーで、弱冠15歳の少年が単身海外に渡ったというニュースを聞いたのは、当方が15になる前のことだったし、バレー以上に学校の枠が崩せないものなんだろうなぁと思っていた野球でも、日本以外の教育機関を経てプロに入る選手がいるくらいの状況である。個人競技の選手は、もっともっとそれぞれに適応した場所でやっているんだろうと思う。
もしかすると、世界選手権の中継でも、海外トップの試合を地上波のテレビで見られないのは、そういうところに目覚める有望選手があったらいかんと思っている誰かのさしがね…っていうことは無い…わな…。

いや、もしかすると、バレーに臨むひとたちは、みんな学校に対して従順で、学校のあらゆることと素直につきあっていけるというものなのか。それだけ素晴らしい学校や教職員が支えているのか(確かにそういう方は全国いろいろなところにいらっしゃるとは思う)。そうだとするとそれはそれですごい。しかしなぁ…。

結局教職も取らなかった当方に語るすべは無いのだが、教職に就く(あるいはそのための準備をする)にあたり、バレーに関わるひとたちは、それをどう消化しているのだろう、と、ずっと気にかかっているのである。

*1:そういう教育課程だったわけですがな