ひとすじであるということ
先に事実が明らかになってしまい、それからチームの対応があとから出てきた、ということなのだろうが…なにかと考えさせられる。
http://vnc.jp/archives/2005/09/nec_19.shtml
NECに所属していた河村めぐみ選手が退社、というニュース。
それこそちっちゃなころからおっきくて注目されていた選手である。高校生で全日本に選ばれたりしたのもその期待の大きさが続いていたからこそなのだろうが…
NECのサイトの公式発表を読んで気にかかった節がある。
本年5月の黒鷲旗大会終了後しばらくして、本人から、「これまで長きに亘ってバレーボールだけの生活を続けてきたが、自分自身の将来進路に関し、これまでのようなバレーボール一辺倒の生活ではなく、新たな別の自己実現の道を模索したい」と退部の申し出がありました。
これはいろいろなものの考え方があるのだろうが、結局のところ「バレーボールなのか、それ以外のことなのか」1か0か…みたいなスイッチになっちゃってるところがきついと思った。
幼少のみぎりからあまりにも一筋で来すぎて、「自分からバレーボールを取ったら」とふと考えて、バレーボールのスイッチを切った状態で極端な方向にスイッチを振ってしまったのかなぁと。
小さいころからの英才教育とかいうのは、概ねそういう部分はあるのだろうが、それがそのひとの将来に及ぼす影響ってどうなのだろうと考えてしまう向きはある。
最近になって多少は自分の中では緩和されたのだが、女子バレーというと、カリスマ的指導者の下に集まって練習だけではなく生活も共にして、指導者が右といったら右を向き…みたいな印象が強すぎて、その部分はとても苦手だと感じていた*1。そういう環境で、しかも多感な年頃から実業団に身を投じた状況であったとなると、残念ではあるが本人の考えるところ、というのは出てきてしかるべし、なのだろうなぁと。そうなると、会社に社員として所属している選手である以上、その会社(そして、チーム)を辞せざるを得なくなるのだろうと。
団体競技では、選手生活にうまく緩急をつけるということも難しいのだろうしなぁ…あ、ソレカ、一番問題になって、一番難しいのは。