/ja あやつる YmrDhalmel

バレーボールを見た記録が多いです。主に北で、たまに南で。

カメラとか絵筆とかを持つ手の主について

いろいろなきんちょーかんが溜まる週だったのと、それが今週の中では一旦落ち着いたところだったということで、本日は少々早めに仕事を切り上げさせていただいた。あとあとになって、ああこれはプレミアムフライデーと誰かが呼びたかったモノにすっかり躍った形になっちゃったんだなと気がついたが時既に遅し。だからといって、特に何があったわけではなかったはずだ。

まずは、珍しく(初めてか?)、見たいと思った個展が、今開かれていることを識って、そこに向かおうと思っていたのを、仕事を終えてシゴトバを出てから思い出した(本末転倒)。後から識るのだが、わたしが行こうとしていたのは、同じ方が、以前同じタイトルで別の場所でおこなっていた個展で、平日昼間以外にはいけない会場でやっていて、確か東日本インカレのさなかにどこかでハシゴのついでに見たいと思っていたのにタイミングを逸したやつだった。フォローしている方のついったーで「現在開催中」であることを識ったのだが、そのときの感覚でいたので平日昼間をどうにかと思って、よくよく会場を確認したら、会場を確認していた場所の階上であったことに気がついて、しかも土日でも見られたことに気がついて刷り込まれた記憶の恐ろしさを思い知るなどした。見たいなあと思った直感を遥かに上回る勢いで、見た絵(テキストも)ががしがしと響いてきて、ほんと、シンプルに「すきだ!」という感想しか出てこなかった。ちょうどその場にいらした作者ご本人に「だいすきです」と告白するみたいに伝えてしまったら、ご本人もわしも頬を赤らめるという結果に至ったわけであった(そりゃそうですね)。会期はあと2日あるので、絵そのものをというのはハードルが高いにせよ、もういちどぐるりと拝見したうえで、物販で扱っていた絵葉書を買おうかなと思った次第である。絵自体がすごく繊細かつ饒舌で、くすりとかほろりとかするのだ。「わしが好きそうだなあ」とご覧になったら思うかもしれない感じだ。

伺ったのはこちら。28日(日)まで。

こちらをあとにしてから通り道*1で多少のビールクズを経て(?)札駅方面へ。久しぶりに紀伊國屋に行って、不意に、暫く捜していた本と最近読みたいなと思って捜していた本を見つけて両方とも買って大荷物をこしらえていた。

新刊だ出るぞ出るぞの頃から気になっていたけど出会えなかった本にやっと出会えて。

gihyo.jp

カメラを構える本人の根っこというか本質をえぐられた感じがしててだ。何度となく読み返しては考えるきっかけになる本になりそうだ。いちまい写真を撮ったらそれについて必要以上に何回も何回も語りたくなる自分の営みにも、それなりに意味がついてきたらいいのかな、と思った。

(今更だが、表紙だったんだーそのしゃしん、と改めて。本文読んで泣きそうになったので、そろそろきょねんの旅の折に撮ったアレをプリントアウトして両親に渡そうと思い立った)。

ちょっと前に、しゃしんをいろいろ撮って揺さぶってくださる方が、ついったーで「どんな瞬間のしゃしんを撮ろうとしているか」ということを、しゃしんを撮る人にアンケートしていたところに遭遇したことがあった。自分が行ったところで何を撮ろうとしているかというのは、ほんと自分にも説明しきれないのだが、意識して撮ろうと思う瞬間はそれぞれにあるんだなと改めて感じ入った。

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それで何故思い出すしゃしんがこれなのよ(2017

そこからきょうは札幌えんかんぷれぜんつの「カゾクマン3」へ。実にたのしかった。

*1:なにせビアガーデン開催中である

冷やし中華をはじめたときのこと

ことしは夏の訪れが遅めだ。ことしの冷やし中華、まだ始めてなかった。そうめんを茹でて冷やしてごまだれでいただいたりはしたけれど。

例年いつ冷やし中華を始めたかを克明に記録しているわけではないのだが、3年前の記録は見つかったのでそれについて書いてみる。

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あれは3年前だった(昨日気がついて驚いた)。

わたしは9人制の実業団選手権という大会を見に、松江に行っていた。島根県は初めてではなかったが*1、ここまで濃厚にその場所にいたことはなかったかなという記憶はある。前日は、鹿島体育館という、松江からちょっと距離のあるところに行っていたのだが(すぺしゃるさんくすとぅえぶりわん)、この日はメイン会場である松江市総合体育館に行っていて、試合と試合の合間に、青い屋根のローソンの傍にあるラーメン屋さんで冷やし中華をオーダーしたのだった。

どういうわけか冷やし中華TLになったきのうのついったーで不意に思い出したことである。冷やし中華を挟んで、わたしはその体育館で見たいチームの試合を3試合くらい見て、その次の日も見ていたんだなと思い起こす。

その頃わたしはとてもどでかい(当社比)原稿を抱えていて、その最終仕上げをしながら現地に赴いていた。その原稿を書かせてくださった方の単行本が出ていて、それを読みながら読んで欲しい方に薦めたりしていた。何よりも、その場所の前後で、いっぱい葛藤したり、必要以上に思い入れを注いだり、泣いたり叫んだりしていた。

冷やし中華というキーワードだけでそこまでアタマがグルグルするとか、世も末かもしれない。ただ、しょうがないので書いておくのだ。

ある人生とか進路とかそういうところで境目が在る場合に、そんなにそんなに「あのときはこうだった、今はこうだ(きりっ!)」みたいに色がツートンカラーにまとまるとは思えない、少なくとも自分はそうだった(だからみんながそうなんじゃないんだろうけどね)、ということを、残しておきたいだけだった。

3年経ったんだなと。絵の具の色を変化させるくらいの勢いで、そこにいろいろ漂っていることは、あるんだなと。

 

*1:初めて島根に行ったのは、玉造温泉に行った時だった。そのとき、中の人が鳥取と島根の区別をあまりできていなかったことは伏せておこう

……でも えんぴつでかいたから

昨日は参議院議員選挙の投票日だったので、近所の中学校(母校ではない)まで歩いて投票しに行った。

選挙についてのよしなしごとが(候補者自身によるPRを含め)SNSで展開されるようになってから、ひとしきりの時間が経っているけれども、個人的にはまだその状況に馴れない。SNSの中で為された語りの中に「投票って、推しの名前を書きに行くものだ」とか「比例代表は推しのチームを書くようなものだ。あ、個人推しならその推しの名前を書いてもいいんだぜ」みたいなのがあったのだが、個人的にはうーむと思った。投票場に行って投票用紙に何かを書けるようになって久しいが、恐らく推しがいない状況のほうが多いんだぜ、推しがいなかったらその場まで飛んでいかない、というのは、普段の営みの中ではよくあることであって、投票場に関してそれを正当化してええのかという疑問は、そりゃ残るわけである、のだ。たとえ推しがいなくても、推しチームが無くてもそこに行って何らかの意思表示をするのが投票という行為なのだと思うのだ。

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清き一票を(それはオールスターかね

というわけで、オールスt…ちゃうちゃう、暑くなりかけた時間帯に投票して帰ってきてから、わたしはおもむろに紙と鉛筆を取りだしたのであった。

www.youtube.com

大学ノートの裏表紙に さなえちゃんを描いたの

一日中かかって いっしょうけんめい描いたの

でも 鉛筆で描いたから

いつの間にか消えたの

大学ノートの裏表紙の さなえちゃんが消えたの

もう会えないの もう会えないの 二度と会えないの

さなえちゃん 歌詞「古井戸」ふりがな付|歌詞検索サイト【UtaTen】

初めてこの曲を聴いたのがいつだったかはすっかり失念してしまったが、いつだかの朝に、ラジオで聴いたのが初めてだったかなという記憶はうっすらと浮かんで来た。

会えないの感覚はちょっと違うかもしれないが、そのときに描いた「それ」は、そのときそのときで、一期一会なのかなということを、最近とみに思ったりは、まあ、する。

一日中かかっていっしょうけんめい描く、という感覚を、ほんのりと思いだしたのである。投票から帰ってきて、一回昼寝して、起きて、開票速報を聞きながら、地元の情勢は落ち着いたところで、また、いっしょうけんめい描き始めていたのだった。

でも会えるよ。また会える。だけどね。この曲、すごく、いい曲だと思うんだ。

だから消えないところに描くよ。大学ノートの裏表紙って、すげぇ危険だからさ(今シゴトバでつことるのは、ツバメノートなのだよ。これの書き味、すごくいいのだよ)。

かなしいことなんかなにもなかったんだ。

いろいろ思い出すことがある。思い出すことのなかには、そもそもことばにすることがえらく困難なこともいっぱいある。いくつかのことばは不完全な問いとして当事者に投げかけられたことがあったかもしれないが、そもそも問う側がきちんと問えていなかったのではないか、そう思ってもいる。

思い出したり噴き出したりしたきっかけは、たぶん東日本インカレだった。地元札幌で開催されて、地元の多くの方々がチームとしてあるいは運営の一角を担う立場としてそこに在ったのだけど、根本的には「関東が来ていた」日々だったような感覚がつよくあったのかなあと。彼らはひときわ大きくて、人数も多くて、規模のおおきな集団であって、バレーボールを中心に据えて、その日々をおくっているのだということを、改めて認識した日々だったのだなと振り返る(ここを含め、ほかの地域がそうなのか否かということは、ここでは一度措く。そして全日本インカレに向けての+出場権を、すべてそういうおおきな集団が占めたことを改めて思い知る)。

バレーボールを中心に据えてその日々の中でひとつひとつの向上を図っていこうとするひとたちのなかにも、それぞれの選択を必要とする場面がある。それだけに前のめりになれる時間は限られていて、進路、方向性を決める局面はそれぞれに現れる。その中で、日々の暮らしとこれからの展望と、その中のどこにバレーボールを置くのかということと。あくまでも、バレーボールを見る者として、バレーボールを見ていて心を動かされたゆえに、何らかの形でずっとプレイをするところは見ていたいと思いつつ、それは見る者の勝手な思いでしかない場合は少なからずある。

サマーキャンプが終わって、週の半ばから週末にかけて、これからを決めていこうというひとたちに、その先はどんなふうに見えているのだろうかということを一生懸命に考えた。相変わらず、こちら側に取れる手は、一生懸命見ていくこと以外にあんまり思い浮かばない。それは、根本的に横たわっているおおきな問題を、解決していく方向に行くのか、別にそこには何も関係ないかむしろマイナスに働く場合もあるのか、わからない。

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先週の「かれら」にとって、その場に「V.LEAGUE」は見えていたのだろうか。何回再編されても、そこにDIVISION 1の居ないV.LEAGUEってぶいりーぐになり得ていないのではないだろうか。ぶいりーぐに入りたいとしたならば、それは目の前でネットを挟んだひとたちのことをさしているのではなくて、夏休みに巡る各所にいるひとたちのことを指していることの方が多いのではないだろうか、とか。

起こっていることを、勝手にかなしいとおもうのは、それをかなしいと思う者の勝手な想いでしかなくて、きっとかなしいことなど、そこにはなかったのだろう、そうもやもやしながら、この週末にも句点を打つのだろう。

(写真と本文が関係あるかどうかは、読み手にお任せします)

暑くなかったけど蒸されて熱かったサマーキャンプ

所謂連休はサマーキャンプを見に行ってきた。詳細がわからぬうちに諸々の手配をしていてドキドキしていたのだが、アタマ2日が見られるというので、手配した予定でそのまま飛んで、きょうはバレー分抜き(?)でいろいろと東京を巡って帰ってきた。

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7/13-14と亜細亜大学で戦っていたサンガイア

7/13の未明に東京に入った。まだ梅雨は明けず、気温は低め。されど、雨が降って湿度は高く、じわじわとえぐられるような天候。試合開始前に亜細亜大学に向かうべく、駅から歩いているところで、わたくし既に湿気にやられていた感。じわじわと体力が削られていく中で、試合は続いていたのだが少々早めに現場を辞して投宿、何故か宿で相撲を見ていたら、炎鵬-輝(小学生時代に対戦してとか非常に縁の深い対決でそのままの体格差というのもまた一興)で輝が勝つところを見つつそのままうつらうつらするような状況で、以下略。

翌14日は、もともとそのつもりでいたのだが、午前中は国士舘へ。国士舘へ行くのは11年ぶりだった(!)。11年前のことで憶えているのは、そのシーズンは4月でリーグが終わっちゃったことと、五輪イヤーで全日本に入って既にチームから離れていた清水福澤両名がそれぞれ母校の応援をしに来ていたことと、その日が終わって慌ただしく黒鷲やら選抜(大学選抜でしたっけなんでしたっけ)に向かう方々が在ったことと、だったかなあと。駅からバスに乗って行って、4セットを見て、そこから亜細亜に向かおうとしたのだが、紆余曲折あって当初の予定からたぶん1時間くらい遅れて着いた。いくらかつての通勤経路だったとはいえ、慣れない非公式乗り換え*1はするもんじゃないと痛感。道の真ん中でして…も遅い。遅かったが、それでも午後の部半分以上は見られたのでよかった。

サンガイアについては、最後の方は満身創痍な部分があったように見えて(そりゃ削られるだろうと削られながら見ていた者は思う)、なかなか難しいところもあったのだろうが、そうはいってもリーグからひと味もふた味も違ってきているところはあるのだろうなという感想は持った。それぞれの選手の色がちゃんと出てきて、それがチームの底上げとか面白みとかそういうところに繋がりつつあるのだろうとは思った。そのことは、とてもこの先に楽しみを持たせてくれるところだというのが、率直な感想だ。いろいろ見えたところがここから開幕までの様々な局面で解決に向かえればよいということだ。

むしろ思いを致したのは各大学にとってのこの機会の位置づけ、についてかもしれない。ことしはV1チームの参加が無かったが、大学の各(いっぱいいる)選手に、V2、V3からの各チームがどう映ったのだろうかとか、それこそ東日本以来、ずっと考えているかもしれない。

いろいろな心配ごとはあるにせよ、その心配をすること自体も営みのひとつとして、なのかなあと。次の機会を、今から楽しみにしつつ、である。

*1:京王線武蔵野台→西武線白糸台を徒歩で乗り継ぐコース