/ja あやつる YmrDhalmel

バレーボールを見た記録が多いです。主に北で、たまに南で。

あたらしい元号のことから

きょうの11時半過ぎ(延びましたね。なんどかリロードしましたよ。ないしょ)に、この5月からのあたらしい元号が発表された。実は、4年前の冬に亡くなった下の妹の名前としてよく書いた漢字がその元号に含まれていたのでびっくりしたしなんだかしみじみ染みいったし妹に名前をつけた祖母のことを思い出したりもした。なんだか深く深く感じ入る文字の並びであった。この騒ぎをどう思って見ていたのかねと、しばしばいろんな件*1で思うときのように妹に問うてみたくなった。

これで、新元号で最初のバレー的な催しは黒鷲旗ということになったのだが、その黒鷲でPFU三橋さんが引退するつーことで、急に大阪に行きたくなってはみたものの、たぶんそれはかなわないような気がしつつ。である。富士通優勝してよかったなあ。ほんとに。ほんとにもう。

平成最後のどこぞのファン感の準備が無事であるかどうかが気になりつつ今日は寝る。

*1:いろいろありましたわ。たとえばSMAPのときとか

パラレル

落ち着かない。

先週のうちに愛機KPちゃんと、KPちゃん入手よりちょっと前から調子が宜しくないレンズ2本に点検修理ラベルを貼ってトーキョー送りにした。オールスター頃(仮)までその方面はおやすみを決め込んでいる。

この週末は、リーグを振り返る、と称してリーグ中に撮ったしゃしんをぼーっと眺めつつ、DAZNでファイナル3だの女子のチャレンジマッチだのを見ていた。もとより遠出をする予定はなかった。

ファイナル3の客席は椅子のクッション感がわかる感じであったが、日曜日、ファイナル3開始のちょっと前に始まっていた、訓子府(くんねっぷ)スポーツセンターこけら落としのヴォレアスと、Rubik's Cube・大洋部品合同チーム、そして札大との招待試合が、1000人を越えるお客さんで盛り上がって立ち見続出、というのを様々な方向から知り得た。カテゴリだけではなく、立地や料金や置かれた状況などが全然異なる事象が、どこかで並べられ、どこかで同じ俎の上に置かれているのが、どうにも落ち着かなかった。

自分が動かずにそこにいることもそのひとつだが、誰かがどこかへ行こうというきっかけというものは、そう簡単には生まれないのだということには思いが至っている。自分は誰かを誘うことがとても苦手だし、動きたいとなったら勝手に足が動いているし、だから、今何がどういう事象であるかということについて、多くのことばを持たないし、自分あたりのことばには、何を動かす力もないのだと思っている。

たのしいものを見てたのしいと言う。それが届くかどうかは別にして。結局自分のすることは、それだけなんだな、ということを、改めて認識した。

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出かけていないから、桜も菜の花も、まだまだ遠いはなしだ(撮影:2017年4月)

結局これを書いたとき(2013年の大晦日)から、何がどう変わって、そして今に至っているかについて、しみじみともの思ったりはした。したけれども、結局自分はそのこと自体に対して、ことばを持たない。

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何に、どう、目んタマが開いたか

きょうは何か書こうと思いながら家路を急ごうとしたところ、なんとびっくりサンガイアのファン感謝祭が4月28日に入りまして、行きはさておき帰りのヒコーキがえらく高くてどうしたものかと思いながらもなんとかまとめました的な。というわけで開幕週は開幕日だけです(どこになにを

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いいセッターと上手いセッターとすきなセッターとすきな選手は別腹である、というのを、ここ2~3年、わたしはなんとなく声高に主張してきた。その主張にはなんの根拠も無いが、言外に、すきな選手がセッターであるにもかかわらず、セッターとして見られない日々が続いていたことを嘆いていたともいえた。

数年前のわたしの辞書には、セッターの縦軸横軸があったとして(これは往年の佳作「セッターマトリクス」に詳しい。んだけど図がずれてるのよー)たぶん縦軸に「オーソドックス」と「トリッキー」しかなかったのだ。

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あれっと思ったのは3年前にふたりのセッターを前にして、そのふたりともどもに「僕たち似てると思ってるんですか」(えーというニュアンスを大いに含まれて)と問いかけられた時であった。

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そこから3年かかった。縦軸も立体であることに気がつくまで(つーか、気づかせてくださる方がなかなかセッターとして見られなかったのでよー)。

前にマシュマロに回答した記憶があるのだが、そうくるのかなと思っていたところを適度に思いっきりぶち壊してみせてくれるところに、その方の、セッターとしてのエレガンスを感じるこの頃なのではある。たぶん、キャプテンとして、とか、チームを束ねる人として、ということでの括りと、セッターとしてどうであるかという括りとでは、評価が分かれそうな人ではあるんだろうなと思いつつ、妙なところが琴線に触れて、だんだんじゅわーっと燃えさかっているところはあるのだなと思っているのである。

今季で言えば(と列挙できる状況にまず感謝だ)、この3つを書いておくとサザエさんの次回予告並みにはまとまるのかなと思っているが、恐らく3つでは足りるまい。

1.そのワンハンドに

最終日、無理矢理でも現地に赴いてよかったなと思ったプレイ。

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東村山の2階席で、久しぶりの応援団の傍で、それなりに声をあげながら、カメラを構えていた。はまさんならではの届き方をしたんじゃないかなというような、ぎりぎりの高いところで捉えたセットが、その次の瞬間、この日、目にものを見せた阿部ちゃんさんによって叩き込まれた。それが、じわりと響いたのだった。

2.きゅんとするセットの正体

「きゅんとする」などという、すごく抽象的な表現を用いる。あまりにも抽象的に過ぎるのだが、殊に3月以降、その立体感に唸るセットをよく見かけた。ふと見ると、1月カピオから出場している鈴木マサが打っていた。たぶん左だとかそのかかってくる角度とか打ち手から放たれるきゅんとする要素とかいろんなものが配合されての状況なのだろうが、ええ、書き手はちゃんと日本語を書いているのだろうか。

今季のサンガイアは二枚替えを多用したんだが、シーズン終盤には「うーむ、二枚替えって、難しいなあ」って、思ってしまったわけなのである。それはさておき。

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3.その引き出しを開けられて

サンガイアを語っている時点でおっくんと言ったらふたてに分岐する*1のだが、分岐先がおっくん…(それじゃわからん)…じゃなくってぇ、奥村といわれたら、その代名詞的なブロードとか壁のようなブロックとかいろいろあるわけで、いろいろなセッターがこの方にブロードを撃たせていたのではあるのだが、今季久しぶりに

見ましてねぇ。じんわりと沁みておりましたらね。いきなりバックアタックも見ることが出来ましてね。

しゃしんなど撮れているわけがないのですよね。ただただ目頭を熱くしてるだけなんですよね。

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このしゃしんはバックアタックのちょうど4ヶ月前でしてね。

続きはCMのあと、或いはもう少ししてから。

トリッキーじゃなくて

その、はまさんの、なんというか、突然観る者の目を見開かせてくれちゃうセッターぶりについて、なんというのだろうか、トリッキー、というのとはちょっとちがうんだろうなと思いつつ、妙にどきどきしながら興奮を露わにしていたのがこのシーズンだったなと思っている。スリリング、かなあ。エレガンス、かなあ。なんだろうな。残念ながら、書き手の語彙に若干の難はあるわけで、ちゃんと表現できているような気はしないのだが、試合を見ながら血が上ってアタマが痛くなるくらい、いっぱいいっぱい濃密な時間を、そのセッターとしてのはまさんを見ながら過ごせたことに、どんだけ感謝してもきりがないなという感がしていて、たぶんこの続きが書かれるのだろうなと思っている。

でもね

あのとき「似てるところは」と問うたことに、その意味はその意味として、あったんよ。それも、たぶん伝わらないのだろうけれども。

 

 

 

*1:「おっくんがおっくんを止めた」を記憶している者からすれば感無量

嬉しさ駆動であった。というよりはまず、駆動したんだということが嬉しかった。

終わったばかりのシーズンを振り返っている。振り返るという行為なのかどうか自体もよくわからない。ただただ、しゃしんを眺めてぼーっとしているというのが正解かもしれない。

自分がなにをどうすきであろうと自由だし、どうすきであるかをことばにすることも自由だ。だけど、何かが展開されているその場所を前にして、自分がすきであることをまっすぐにそこに投影させることが出来るとは限らないし、しばらくそういうことを出来るとは思えなかった。おさえていた、というのも、あまり正直な表現ではない。

自分が望んでいることをあらわにすることを、いつの時からか、しちゃいけないと思っていた。いや、しちゃいけないというのも、ちょっと正確ではなかったのかもしれない。

きょねんではなく、4年前の。5月の。あの洞峰公園から、すこしずつ積み重ねてきた気持ちの襞ではあったのだろう。いっぱいいっぱい閉じ込めてきたんだなと。

 

きょねんの夏におおきな変化があった。

明らかに「戻ってきた」し、また「動き始めた」。まっすぐにつながった。はっきりとし始めた。暑い熱い夏から、夏とは思えぬ肌寒さから、そして大きな動きと報せがあって、シーズンが始まった。

始まったシーズンから何がどう動いたかを追うと、順風ばかりではなかったし、その場には憂いも嘆きも少なくなかった。だが、その実体を追うと、突き動かすものがそこに在るということ自体が嬉しかったのだと、自分にとっては呆れるほどそこに至る気持ちのほうがつよくなっていたことに気がついてしまったのである。つきつめられること、つっこめることじたいが嬉しいというそういう不思議な気持ちに為っていた。

不思議なシーズンだった。不思議なシーズンだったが、まず、自分にとっては、おおくの動力がそこに在った。ひとつひとつの思いを閉じ込めていたみどりのチューブから、堰を切ったように、駆動した。その駆動の源は、まず、まっすぐに、嬉しかった、だった。

次の稿から、各論に移…れるかどうかはわからない。どこかで、ちゃんと次の段階に進みたい。いや、進めること自体、思いも寄らないことだったけれど。

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其れ自体を一度封印したのだ。

 

おわりの週

今シーズンが終わった。

金曜日は職場が指定休日というやつだったのだが、通院だのそこからの久しぶりの(そしてラス2くらいかもしれない)のるどで(実は初めてかもしれない)汁無し担々麺をいただくだのでバタバタして気持ちもよくわからないまま旭川へ。不安だらけの中で、土曜、鷹栖へは記者として行ったのだが、ひとまずヴォレアス優勝決定の場に立ち合うことは出来た。そのまとめは近日アップ出来るようにまとめていくとして、まず優勝決定のトピックをあげて、そのまま慌ただしく旭川空港(初)から羽田を目指した。

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その旭川入りの途上で、ヴェルディ倉田主将の今季限りでの引退の報に触れた。昨季、チャレンジ2にいたヴェルディが東川に来たタイミングで、お話を伺ったことがあって、そのときのことを記事にしている。

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このとき、プレスルーム(小学校の音楽室だった)で倉田さんをお待ちしていたら、ちょうど対戦していたヴィアティンの選手が何人か一緒にやってきて「見学させてください!」とそこに座りかけていたことを憶えている(こちらが緊張しますがな)。離れたところで試合をしていたヴィアティンの方々にも思うところは一入あったのだろうということは容易すぎるくらい容易に想像出来る。

シーズンは終わったし、いろいろな結果は出たし、オールスターのファン投票も結果が出たし、まぁいろいろ整理出来ない思いはあるのだが、とにかく、一度おつかれさまですと申し上げて、深呼吸して、いろんなことを思い出して、浸って、それからだなあと思っている。

いよいよ来季、V2にも大きなうねりがあるのだろうなと、この2日を通じて見て感じたところだった。

来季、もっともっと、おもしろくなろう。たのしみにしよう。

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いろんな引き出しを開けられた。開けられた引き出しをひとつひとつ片付けながら(あっリアルでもだ(・_・;)

今シーズンを彩ったあらゆる方々、いろいろな場所でお力添えをいただいた方々、ありがとうございました。