/ja あやつる YmrDhalmel

バレーボールを見た記録が多いです。主に北で、たまに南で。

スカスカ考(2014に申し送り)

ここのところ、バレーボール、特に男子の試合会場に行くと、どうしても口をついて出てしまう言葉がある。正直、会場の観客の入りが寂しい。空席が目立つ。二言目にはそういう話になる。

行こうとする人がどっちに行くか迷うレベルで近辺開催が重なる、という問題はままある。ただ、一概にそれが原因であるとも言いがたい、ような気がする。

この界隈が事前の情報を出すことが下手なのはなぜだろう。出そうとしていないからなのだろうか。出すチャネルがないからだろうか。出し方がよくわからないからだろうか。出してるんだけど虚空に散ってるだけなのか。

たとえば、来場者に配られた「年刊バレーボール」の出来がとてもよいという話は聞いたし、実際に受け取って読んだ自分にもとても響いた。されど、多くの場合、どうやってそこまでたどり着くのだろうか。

このブログをはじめて10年目が終わろうとしている。だんだんと、自分が好んで見ている「大学バレー」の環がちいさくなってきているような気がする。ちいさいというのは弱いと直結ではなく、ちいさいけれど結びつきのつよい、深い心持のもとで出来上がってるのかもしれないが、それでも「発信」のちからの及ぶ範囲はどんどんちいさくなっている感がある。知る人ぞ知る、の、知る人、というのが、よりコアになっている感がある。しばらく見ないと通じないことばがいっぱいあるような気すらするほどに、深く、ちいさく。

その場を見つめて愉しんでいければ、それでもいいのかもしれない。否、それでいいのだろうか。結局、ずっと考えをぐるぐるさせ続けている。今もよくわからない。

「苦戦」は大学界隈の男子に限らない。その後の天皇杯もかなり厳しかった。「いつ、どのように大会を配置するか」ということも大事だし、「大会にどのように見たい人を導くか」はもっと大事だ。「選手は一生懸命やってるのに」が妥当なのかどうかもわからない。せっかく一生懸命やってるのであれば、ひとりでも多くの人にそれを見てほしい、と、選手やチームが声を上げるのもひとつなのだろう。

見る者に「深い」つながりをもたらした各カテゴリ・各セクションの広報・報道的立場のひとに敬意を表しつつ、このあたり、改めて来年に向けての宿題になりそうなことだなぁ、とは思っている。
此処からの遠吠えで意味があるのかどうかはよくわからないのだが。