/ja あやつる YmrDhalmel

バレーボールを見た記録が多いです。主に北で、たまに南で。

月についての覚え書き

昨日は「スーパームーン」であったらしい。(解説→http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120505-00000001-it_nlab-inet)東京あたりでは天気が良く、かなり鮮明に見られたようであるが、雨があがったばかりの当地では、深い雲に包まれて月は見えなかった(もっと夜遅くだとどうだったかわからない)。
月といえば、物理的には見られたのだろうに、ちゃんと見られなかった事象があったなぁと思い出した。去年12月10日にあった、皆既月食。→【特集】2011年12月10日 皆既月食
去年の12月10日といえば、わたしは川崎にいた。水曜日から川崎にいて、連日全日本インカレを見ていて、この日準決勝の観戦を終えていた。次の日に3位決定戦と決勝がおこなわれるという状況だった。なんともいえない力が抜けた状況にあって、どっと疲れが押し寄せたのか、試合が終わったあとに何人かの方と食事をしていた最中から、*1既に若干船を漕ぎかけな状態になっていて、正直たいへん申し訳なかった。それで割と早めにお開きになって、各々帰路についたのだが、その途中で(という脈ではない方からも)「きょうの月」に関するついーとを見ていて、そこそこ気持ちは動くのだが、どうしてもカラダが「じゃあ、月を見ようか」という方向には動いてくれなかった。もともと天体現象にそう敏感なタチではないので、割とそのこと自体は自分にとっては普通なのかもしれないが、なぜか「見られなかった」ことを鮮明に思い出してしまっていた。
翌朝は3位決定戦を全力で見たかったので、朝はそこそこ早かった。ウォーミングアップの時点からナニカが極まっていたとか、試合が始まってほしくないと願うとか、いちいち史上初な状況が続き、試合が終わった頃には、ナニカがぼろぼろぼろと流れてくるのをカメラのファインダーに隠してもらっていた。テンションがおかしかった。ゆうべ自分が見なかった事象のほうがレアだったのかもしれないのに。まだ次のどこかでちゃんと見られるのに。でも、今見られるのと、次のどこかで見られるのとは違う。

黒鷲の熱い日々をネット越しに垣間見ていた。どうしても、そこにもやっぱり「区切り」が無数に存在していて、「まだ」と「もう」が交錯していることを思う。女子チームの応援に、3年前に自分も見た男子チームのことを心で重ねる方々の存在と思いとそのほかとか。
まずは自分がどの場所で何を見ているか。そのこと自体が選択であり、その場所に行かないこと、見ていないことも*2また選択である。ことしかよっている場所は、ぶっちゃけ「○○があるから黒鷲行かない」という積極的選択で行き始めたわけではなかったが、回を重ねる毎に、そこに行くことが、だんだん今の自分に欠かせなくなっていることに気づく。
開幕日に行った(そしてきょうも行くのだが)北大は、その時点では、先ほど書いた12月の川崎から戻ってすぐ、キャンパス先にある会社の面接があって近くを通った時以来だったのだということに気がついた。夕刻に面接が終わって、寒いキャンパスを駅の方へとひたすら歩きながら、思い出し泣きなどと言うある種異様なテンションに至ったのだった。
いろんなことが繋がっているのか、あるいは、無駄に繋ぎつつ生きているのか。見られるものと、見られないものとの違いは。

*1:初めてお会いした方もいらしたのに

*2:行けない、見られない、を含めて