/ja あやつる YmrDhalmel

バレーボールを見た記録が多いです。主に北で、たまに南で。

「記憶」を補完する「記録」「記念」

先ほどの記事は、3年前、今のカメラとレンズを使い始めた頃に撮った写真のみなさんである。被写体の方々が当時はおしゃけも飲めないくらいの年恰好であどけなかったり、カメラを遣う者が縦位置で構えることを知らなかったり、いろいろ新鮮だ。東京体育館だからといって、妙にテンションがあがったなぁとか、いろいろ思い出す。
それから3年。どれだけ試合を見て、どれだけシャッターを切ったかわからない。結果として写真を撮るのが上手くなったかどうかもよくわからない。写真を撮る側にはそんなに進歩があるとも思えない(強いて言えば、ホワイトバランスをどう調整するかを憶えたくらいかもしれない)。しかし、ファインダーから見える方々はそれぞれに成長していって、きりっとしたり、頼もしくなったり、それぞれを巡る状況も変わっていったんだなぁ…ということはしみじみ思う。
関東大学リーグでは写真を撮るときに、受付で「撮影許可証」を受け取る必要がある(こういうの。受付で受け取って、帰るときに返却する)。このとき、受付に置かれているシート(表)に申請内容を書く。「目的」のところには、大抵「記録」「記念」と書く。前の人がそう書いたからそう書くこともある。スカウティングのためにビデオを撮るチームの関係者などとは趣が違うのだろうが、それでも日々の営みはやっぱり「記録」なのかな…という気がすることもある。
当方においては、今季、コレまでにない勢いでシャッターを押し続けている。Flickrに保存しているのは実はその1割弱なので、どんだけ*1〜という感じではある。それこそ、心の赴くままに、素直に…ということの裏返しなのだろうか。それこそ…

自分が何かを好きになった気持ちをしっかりと信じて、前だけを向いて歩いて行こう

http://theinterviews.jp/heimin3/1762582

そゆこと?かな?

追記(2011/09/30)

この件について記事を起こす際には、忘れずに書こうと思っていて忘れていたことを附記。

観戦スタイルは千差万別である。最終的にはハコの中の自分にゆるされた場所で、周囲に迷惑をかけずにいられればよいのだろうと思う*2が。「千差万別である」というのが、まずは大前提。

よく「試合も見ずに写真を撮っている」というフレーズが見受けられるし耳にもするが、その指摘については、そうであるとも、そうではないともいえる。ファインダーを覗くというのはその瞬間の視野を狭める行為でもある。そう自覚はしているが、それはすなわち「試合を見ていない」ことにはならない。

そもそも試合を見ているとはどういう状態のことであろうか。思索は底をつかない。

*1:しかも、連写機能を行使せずに、だ

*2:が、それも場合によっては難しいことだろう。ある学校の親御さんの隣で対戦相手を大声で応援するというような状況もあるわけで