アナリストがキニナル2010
「アナリストがキニナル」というタイトルで初めて記事を書いたのは2005年だった。5年経っていた。この時に紹介したワタナベアナリスト(当時はまだ専修の学生であったと記憶)など多くのアナリストが活躍したことにより、「アナリスト」がバレーボールにおける重要な役割の一つとしてより認識されたんだなぁ…という感慨がある。
前々から、バレーボール好きの@yukatan記者がその取材をしたと伺っていた「世界選手権で眞鍋監督が持っていたiPad」についての記事が、昨日ITMediaに公開された。媒体の特性からこういう切り口なのだろうが、記事を拝見して、別に思ったところはあった。
→http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1012/22/news003.html(JVAの妖精要請により、2011/3/31まで公開の時限記事とのこと)
監督が直接データを見ることにより、データが出来てからその情報が伝わるまでの時間、手間、その他のロスが回避されているという点。
「これまでだと試合の様子を主観で見たり、ベンチのコーチに聞いていたのを、自分の目で確かめられるようになり、選手交代が即断即決できた」
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1012/22/news003.html
と当該記事の監督コメントがあるが、この件、以前にブログでの記事であげた点とも、無縁ではなかったのかなと思った。
日本で「スポーツ」殊に団体競技に関わる人と「ある程度」切っても切れない状態にあるのが「体育会」的性質。
これ自体をどうこう言うつもりはないのだが、実際に「体育会」の中で育って現在も競技に携わるふたりの方のブログで、奇妙にも一致した部分があったので驚いた。
ちょっと気がついた?「体育会の不便なところ」 - /ja あやつる YmrDhalmel
↑で引用したふたりの記事を思い起こしたのである*1。
もしかするとここが日本だからこそ、直接監督にデータが届く必要があったのかな、と、穿ったことを考えてしまった。日本においては、アナリストという職務自体がその役割を確定させている途上であるがゆえに、アナリスト本人が、日々積もっていたシステム要件を的確に開発側に伝えることが出来たのかな…とは考えた。
大学バレーを見ていて、いろいろなアナリストを目にした。アナリストとしてそこで育ち、引き続きアナリストとしてのキャリアを積み重ねている方も増えた。その度に、その役割の大きさ、重さ、ひいてはバレーボールの奥深さを思った。今年は、アナリストを見る(?)自分にとって、ひとつ区切りの年なのかな、という気がする(こういうこともあったしのぉ)。
思うところはまだ書き切れていないので、またどこかで。
*1:それから時が経っていよいよリーグでマサが見られるとな…