前に書いたかもしれないジレンマ
発端はぶくま経由で読んだ記事。
http://fragments.g.hatena.ne.jp/kusamisusa/20071113/p1
タイトルが長くてステキなのだが、すげぇツボだった。
ちなみに、昨日はこの記事を読んだのが早かったのか、ワールドカップの中休みにフジテレビで放映されていた春高なんちゃらを見始めて2分でチャンネル替えたのが早かったのか、よく憶えていない。
このあたりの感覚は、自分自身がスポーツを得意としないからあるのか、そうではなくて自分の得意な・好きな分野でもそうなのか、が、自分でよくわからない。根性なき者は去れみたいな言葉が今でも成り立っている世界*1、ってのは、たとえそれが好きなことでも厭になりそうではあるのだが、それもあくまでも想像の中の話。
…でも、結局、今バレーボールを見ているというのは、自分がまさにいまさっき目を背けようとしたアレやらソレやらを越えてきたひとたちが動く様を見ている、ということにもなるんだろうなぁとしばし自己矛盾に悩むことがある。
それを以前ここに書いた記憶はあるのだが、ドンぴしゃなものは見つからなかった。
- コレだったかなぁ、ちょっと違うかなぁ→ひとすじであるということ - /ja あやつる YmrDhalmel
- コレでもなかったかなぁ→いろいろな側面があるのだろうけど - /ja あやつる YmrDhalmel
バレーボールって団体競技だし、学校との繋がり抜きでは現状伸びていけない競技だし(少なくとも今の日本界隈では)。
実は、バレーボールが集客・広報に、それ自身とは全くご縁がなさそうなアイドルとのタイアップを図るのは、体育会系だのスポ根(古)だのの路線からのアプローチは難しかろう、別の方向から興味を引こう(そうすれば、選手の通ってきた道は見えないだろうし)という誰かのお考えがあるのかなぁ、と、ちょっとうがった見方をしかけて、さすがにそれはうがち過ぎと思って打ち消した。