/ja あやつる YmrDhalmel

バレーボールを見た記録が多いです。主に北で、たまに南で。

「ここはバレーだぞ、という弁え」について

昨日書いた言葉に補足。
弁えは最低限あればよいのだと思う。
それは、試合の流れを壊さないことだ。

FC東京のサポーターがバレーボールの試合においてどういう応援をするのか興味があり(噂では聞いているが実際に未見なので)、見たいのであるが、最大のチャンスであるっぽい今週末が無理である。本当は見てから書きたかったのだが、シーズンが終わるのを待てないので今書く。
巷で言われるように、プレーを阻害して選手から苦言を呈する、ということであれば、それは改めるべきであると思う。
バレーをずっと見てきた方々にとって、所謂サポーターのたたずまいはそれだけでヘイトを稼ぐ。せっかく今後バレーが変わっていくうえで有意義な「外圧」であるにもかかわらず、自らそれをスポイルしてしまうのは勿体無い。
昨年後半から当方が意識してやろうとしていることは、「バレーのことを書くときにサッカーの話を極力引き合いに出さない」ということである。サッカーはいろいろ学んで変わっているが、それがバレーにとってすべてそのままプラスに受け入れられることではないと思うからである。
当方が、Jリーグの中で一番実業団チックなまま消えてしまったチームのサポだったからかもしれない。
あのチームはJリーグ開幕時、いちばん人気が無かった。グッズ売り場でいつまでも商品が余っていた。焦った?チームは広告代理店に委託をして「公認サポーターズクラブ」を立ち上げた。そこに呼ばれたうちの何人か(かなり=特にヨーロッパの=サッカーを熱心に見ていた向きでもあった)が、その方向性に疑問をもち、独自に声を出して応援し始めた。当方はそのグループに合流して、熱心にサポートに励んでいたものであった。
あのチームのサポーター団体が分裂していた頃の話は、こちらのページなどに詳しいが、正直、今各チームや代表のサポとして活動している方からすれば、サポであったかどうかも謎であった状態だったと振り返る。このチームのゴール裏は和気藹々団欒の場所であり、殺伐とはしていなかった。それをどうこういう向きはあるのかもしれないが、今となっては「マッタリした雰囲気を否定するわけではない」のは重要なことだったのかなと思う。応援はするけど、強要はしない、という。
まぁそれはあくまでも当方が中に身を置いていたときのサッカーであり、バレーを考えるときに羨ましいと思うことはあれど、それがすべてではない。サッカーで羨ましいと思ったポイントを、如何にサッカーが羨ましいと言わずに挙げるか、ということを考えている。上手くいかないかもしれないが、念頭には置く所存である。

最後に。
TUVが東西インカレで「プロ化」についての話をすると当初聞いたとき、「サッカーの二番煎じ」なのかと考えた。
話を聞いて、こりゃ「サッカーを追いかける二番煎じ」とは違う、独自の思想が感じられ、それは「バレー」という文化の中でも徐々に浸透させ得るものだと思い、居ても立ってもいられなくなり現在にいたる。もっとも、立ち上がった時期の違いにより、将来「bjの二番煎じ」呼ばわりされてしまうことはあるかもしれないが*1…。

*1:というほど、見事に考えるところのポイントが一致している。勿論二番煎じであるはずはない