全国巡業型開催はJSLが始めて、追従したバレーでは40年近く続いている
http://blog.livedoor.jp/hira309/archives/50301846.html 拝見してあらためて数を数えた('д')
バレーボールで日本リーグが始まったのは、東京オリンピック後、メキシコを睨んでの時期である。男子で言えば「松平全日本8年計画」が始まった頃。
1966-67シーズンに行われた第1回日本リーグ男子の順位は、
最優秀選手は八幡製鐵の池田尚弘選手(のち中野姓、全日本監督も務めた)。*1
この当時といえば、高度成長下、各企業のシンボルチームとしてバレーボールチームが成り立っていた時期であり、企業(チームではない)自体が地域に密着(企業城下町)していた時期であったともいえる。
また、建前上プロの選手は五輪に出られなかったが、ソ連を中心とした共産圏では「ステートアマ」が幅を利かせていた。
松平全日本自体の影響力もそうなのだろうが、当時としてみれば画期的だったかもしれない開催方式が、現在は陳腐化して足かせにすらなっているのかなぁという感はある。やはり、社会のあり方や選手の存在意義が変わりすぎているにもかかわらず、バレーを見ていると変わっていないことが多すぎるなぁと痛感することしきり。
今日拝見した記事で、この切り口ではないが、「バレーに関して、今の世の中の流れに即していないと感じた」という視点で大いにココロを動かされた記事を2点記しておく。トップだけじゃなくていろいろなところにどんよりしたものが残っているのかなぁと思った。
カミングアウトかも・・・。|バレーな日々
訴え!?|ふじなまさきなまの「俺は強い」