/ja あやつる YmrDhalmel

バレーボールを見た記録が多いです。主に北で、たまに南で。

セッターに「為る」

目の前の(といっても画面越しだけど)その活躍を見ながらも、どこか落ち着かない。そんな感じで2試合を見た選手がいた。
目の前で見ている試合とは別の方向に、その選手の将来が描かれている、事前にそういう報せを以て、見ていたからなのだろうと思う。大会が始まる前に、既に、その「将来」について、発表が為されている。そのことを、ふと思い起こす。

(「落ち着かなかった」のは、そのチームの(いまの)セッターがすげ上手くて心を突き動かされたのも一因だったかもしれないなぁ)

バレーボールのポジションにはいろいろあるが、セッターだけは「為る」必要があるポジションだ、と話してくださった方のことばがアタマをよぎる。とかくセッターを見るのって難しいし、セッターについて語るのは難しいのだと思っている。何せ、目が肥えているひとばかりではなく、実際に現場に在るひとのなかですら、「其処に求めるもの」が千差万別だし、或る視点から見たら別の考え方は受け容れがたかったりするだろうし、と。
ついこの間までは、見る者として、出来るだけその近辺に立ち入らないように、避けて通るようにしていた。ここ2年ばかり、ネットを背にしたしゃしんが増えた気がするのだが、だからといって、何かが見えたとかわかったとか、そういうわけでもない。見れば見るほど、否、見ようとすればするほど、迷いばかりが増えていく。それがセッター界隈なのかという気がする。

心密やかに、そうであったら、あるいは、そうなったらいいな、というのを思いながら、「為る」までのことを、なんとなく見守って行ければいいなぁ。そういうセッターが、いろいろなところにいるかもしれない。狡いので、どうなればいいのか、というのは、決して口には出さずに、なんとなく。