25のうちの、あるいは、75のうちの、あるいは、たくさんのうちの、ひとつ。
inspired:なぜバレーボールは1点入るたびに大げさに盛り上がるのか? : 子育てめんどいブログ
「なんで1点1点でそんなに激しく喜ぶの?」というのは、確かにてれび(殊に地上波)でバレーが放映されたときに割とFAQ的に出てくるフレーズではある。傍からは時として否定的に捉えられることがあるが、バレーにおける1点1点の位置づけを考えると、やっぱり「そのひとつひとつ」がだいじなんだという結論に至ってしまう。
カメラを構えると、何度となく「喜ぶシーン」を撮っている。あとでメモリを紐解くと、一見「同じように見える」シーンがいっぱい切り取られている。しかし、それは同じわけではない。その1回ごとに、ファインダーのこちら側の、向う側の、それぞれの感慨が詰まっている。溢れてくる。
ひとつのチームが3セット取って勝つまでに、そのシーンは75回くらいは存在する。フルセットだと100回以上あるかもしれない。負けるチームでも1回もない、ということは、めったにない。数十回はある。
それぞれの「1回」の重みは、確かにその1回があるかどうかわからない競技と較べるべくもないのかも知れないが、較べること自体に意味があるわけでもない。
きのうも、きょうも、それからまたいつかの機会でも、その1回1回を噛みしめられたら。改めて願いつつ、そんな思いで眺めていたしゃしんを羅列してみる。
追記
思い出すフレーズがあってだな。
バレーボールはルール上、勝利を掴むまでには最低75点必要であり(3セット先取の5セットマッチの場合)、ファンにとって、得点というのは大きな楽しみであり、幸せであります。多くのファン同士が喜び、楽しみ、幸福感を共有できるチャンスが75回もあるということです。実は、他のスポーツで、1試合でこれだけの楽しみ、幸せを味わうものはそんなにはありません。
「みんなで75回幸せになろう!」