求めるか否か。表出するか否か。
しょ、正直…昼間はすまんかった。
見せてもらっている。という気持ちは忘れないようにしつつ、見せてもらっているから何も求めなくていい、なのかどうかを見極めたいところ。
ぜひ見に来てくださいとはよくいわれるが、それって、誰のために、見に来て欲しいんだろう。見に来るひとが多かったら収入が増えるのではない界隈においては。
週末久々に飛んで、昼夜いろんなバレー界隈の話に花を咲かせた(その節はありがとうございました>各位)のだが、その中で出た話の中に「近頃大学バレーの会場の入りが宜しくない」というのがあった。その件に絡めて頭に浮かんだことを流したのがさきの2ツイートだった。
ひとことで大学バレーといっても地域によって状況は異なる。飛んで伺った話なので当然当地の話ではない。こちらに越してくる前に連日通っていた関東でのことである、という。行けなかった去年の全日本インカレで、より厳しい状況が垣間見えた、という。
学生スポーツには様々な目的があって、それは根本的に「かんけーないけど好きで見る」層向けには編成されていない。あくまでも運営側またはプレイする当事者に最適化されている…と思いたい(どちらかといえば現状運営寄りの場合が多いような気はするが)。だから往々にして、見る側が「あーだったらなぁ」と思うことは、あくまでも見る側のねがいにすぎないのだ。ということは、理屈ではわかっているのだが…。
入場に料金を求めるのは会場の経費のためだし、プログラムに生年月日*1や個人写真や一言コメントやその他諸々が載らなくなったのは、それを増えたチームに対してやろうとしたらプログラムを値上げしないと太刀打ちできないかもしれないのだろうし、…いろいろ(競技に限らず)たいへんなんだろうなぁ。
とか。
強化合宿とか、選抜チームのn次合宿(最終メンバー決定前の)とか、そういうもののメンバーを公表しないのは、公表したらしたで何らかの面倒が起こるからなのだろうか、最近の情報コントロールの考え方としてそういう方向にシフトしたのかな…。
とか。そんなことを考えていた。
何せ見ている者は「謹んで学生同士の戦いを見せていただいている者です公開していただいてありがとうございます」という立場…なのかと。
そうなのかな。或いは、別に理由があるのかな。おせぇてと言ったほうがいいのかそうでもないのか。言わないから必要ないと思われているのか言ったら煩わしいから言わないでいるのか。そもそもこれからどうなっていくのかどうなっていったらいいのか。等々…
この週末は学生の大会を見に行ったわけではない*2のに、見た試合見た試合で学生の頃に見たいろんな記憶が花開いてきてて、関東で大学バレーを見た記憶の強烈さに我ながら驚いている。それだけの印象が自分の中に据わったのは何故であったのか…を、目を閉じて思い起こそうとする。
見る頻度はがくっと減ったが、やっぱり関東のリーグはそこそこ関東のリーグであってほしいと思うのだ(ただし、もうちょっと選手は散らばってほしいと思うけど)。