diagonal position - 腕の時計を止めて
Inspired(も、した)→http://ameblo.jp/ka10ka2ya9/entry-11837802387.html…の、2まいめのしゃしん。
感謝菜に行かないわたしも、その時期に合わせて何らかの感謝をしたいと思って、少ないリソースをやりくりしていろいろ考えを巡らせていた。その一環として、2月のカピオ以来撮りためたしゃしん(その間にカメラチェンジも在り)を見つめていた。前の記事でUPした、選手全員がどこかに写っている1枚は、そのひとつ。
ここ数ヶ月のしゃしんを振り返っていたなかで、とりわけ胸がきゅんとしたり、背筋がピンとしたり、目頭が熱くなってきたりするショットがあったのだが、それが、もうすぐ見られなくなってしまう…そう意識させられてしまったのが、冒頭のリンクで紹介したしゃしんなのであった。
意識して撮ろう撮ろうとしていたわけではない。なんというか、吸い込まれるようにシャッターを押していた、という事案が多い。出会ってしまったのですね。そうつぶやきながら、目の前のしゃしんたちを目で追っていたら、自分の撮ったしゃしんに自分の涙腺を緩められる、という状況になってしまった。これから、どういう関係性になるのかわからんが、同じユニフォームを着てコート上に在る、ということは、もう、ないんだなと。
いいですか。ここだけは、ちょっとだけ、時を止めておいても。ある時間軸の、ひとつの記憶として。そして、記録として。
…ねぇ。そんなにそんなに上げたのですか。そして、打ったのですか。そして、どうしてそんなにそんなにシャッターを押したのですか。
そして、これから時計が、少しずつ動き出すのだ。今夜あるという、その宴のあとで。