ファンサービスについての雑感および雑記
たぶん、このテーマでブログに書くことって初めてなんだと思う。
根本的には、自分がファンである原義…であるところの、その「やる」ところがじゅうぶん堪能できること、それが自分にとっての「サービスを享受している」状況であると思っている。スポーツ選手ならそのプレイで、ミュージシャンならそのパフォーマンスで、ライターならその文章で、唸ることが出来れば、と思っている。
…というのが本音でもあり、また、建前でもある、かもしれない。というのは、ファンのなかでも、その対象に向けてちゃんとことばやおもいいれを伝えられる人は、「場」があってもなくてもちゃんといらっしゃって、普段そのひとびとのそういう姿に敬意を表しているのだが、自分には上手く出来ないのだというのがそもそものところにあるからだ。共通の言語をちゃんと持てるのかが不安で、そもそもコミュニケーションなど取れるのだろうか、という以前に、目の前にするとまず挙動不審なやつになってしまう、そういう自分であることを自覚している。だから、概ね、遠くから眺めてぽぉとしている。たまたま近くにいたりするときは、何故かその場でだれかのためにカメラマンを買って出たりする。わたしはそういうやつである。
最近「ファンサービスの場を設ける」件についていろいろな話を耳にしている。「〜ヲオコナイマス」というフレーズも耳にする。そのフレーズに若干抵抗感があるのは、たぶんお膳立てがないと(あっても)なにもできない自分に苛つくゆえなのだろうなと思う。
カピオのときは近くまで行ってみた。誰かに、いっちゃえいっちゃえーといいながら、その全体像を、遠くから眺めて、勝って良かったなぁと思っていた。
この前、宮前のときは、たぶん初めて、ないしは、かなり久しぶり、なのかな…と思うのだが、試合が終わったあとに、自分からその場所に向かってみた(もちろん、前後でいっぱい背中を押していただいた)。相変わらずの挙動不審ではあったが。いつもそれしか語れない、そして、それしか伝えられない、そんなことばをただただ連発してしまってきた。
なんだか、妙なもので、チームに対しての想いとか願いとかそういうことも、その場でじわじわとこみ上げてきて、妙な具合にブレンドされて、今になって、このチームが続いていて*1、繋がっていることへの感謝がわき出てきた。
それが、「ほんの少し」にでもなれていたらいいんだけど。ずっと見上げる視点の先に、ことしこそ、こんどこそ、辿り着けるように。あらためて、その意をつよくしているが、表題についてはあまりちゃんと書き切れていないなぁ。
その節はどうもありがとうございました>どこへともなく。目の前にあるときもそうではないときも、ただただ応援するばかりである。いつもながら、愚直に過ぎるがね、わたくし。
Tsukuba United Sun GAIA 2008- | Flickr
*1:力尽くででも続けられていて、のほうが正しいのやも知れない