/ja あやつる YmrDhalmel

バレーボールを見た記録が多いです。主に北で、たまに南で。

高飛びは8段部まで

ユニバな現場1(4/9): どんなとこへこんなとこへ 拝見。

確かに大学バレーの「部」数は二桁であり、ひとりの選手が入学から卒業までずんずん上がり続けても「8」が精一杯なのは実際そうである。

実力のある新興チームが上り続けた…記憶*1は当方にとっては約3例ほど。
今女子の2部にいる2つの短大については記憶が怪しい…どなたか…フォローを…

松蔭大学(設立当時は女子短大)
現1部。創部は80年代だが、1部昇格までは実に20年以上を要した。ただ最初のダッシュは凄まじかった。短大だったので2年周期で選手が入れ替わるにもかかわらず、である。系列の高校*2と日立との縁が深かったこともあり、創部当時は日立OGがスタッフにいた記憶がある。
早稲田大学
6部6位→2部1位(入れ替え戦には勝てず)は堀江陽子選手在学時の高飛び。この後、所謂名門高校からコンスタントに選手が入るようになった。現在は1部に定着。
順天堂大学
現3部(2部までは上がった3シーズンですが、1部でやってました)。1996年に大学の組織変更があり、それまで男子のみであった体育系の学部に、女子が受け入れられるようになった。女子1期生が現在監督となっている。かつて、Jリーガーの妹がいたような*3

見事に女子ばかりではないか…
男子の1部では国際武道大学が新興と思われるが、そんなに下で見た記憶がないのだ。学芸は男女逆になっちゃったなぁ…

追記

タイトルを含め「4」になっていたのを「8」に訂正しました。リーグは1シーズン2回あるじゃないかと。

追記2

国際武道大学男子、2部に初めて登場したのが平成4年秋(プログラム、2部は平成元年からの順位が載っているが、3部は平成10年から)。佐々木太一選手のいた専修は、2部−3部のエレベーターチームから、徐々に2部へ、そして上位へ行ったというのは記憶に残っている。

追記3

昨年のプログラムによると、関西は男子8部、女子9部まで。

*1:あくまでも記憶なので追って補足はしたい

*2:松蔭高校。主なOGに江上=現丸山=由美選手など

*3:ニックネームは兄貴にちなんで「ジェイ」だったような希ガス