第一次大輔世代が…
今朝小沢君: たてがみなびかせてを拝見。暫く読み進めていって言葉を失った。
小沢章一さんが、がんで亡くなったとの記事を見た。
何度かそうしたように、一度これを「おざわしょういち」と読んでしまった*1。いうまでもなく「おざわしょういち」は小沢昭一*2であるにもかかわらず、である。昔は何度となく間違えたものだ。しかし、この文脈に出てくる名前であるはずは無く。
元記事からリンクされている日刊スポーツの記事を読んで、こんどは暫く固まった。
http://www.nikkansports.com/ns/baseball/amateur/p-bb-tp5-060116-0005.html
荒木大輔ともども早実から5度の甲子園出場(確か1年から連続はこの2人のみ)、小柄だが巧い選手であり、学年が上がるとキャプテンシーも光るようになってきて、このひとのファンも少なくなかったという記憶がある。高校野球にはなくてはならないタイプの選手だったのかもしれない。
41歳というのは確かに若すぎるのだが、あの世代が41なのかと思うと妙な気持ちになるのもまた事実である。時間が経ったんだなぁと。荒木大輔に惹かれて(かどうかは知らないが)「大輔」と名づけられた人の多い世代が、今のスポーツのいろいろなシーンで活躍しているのを思うと、なおさらそう思う。
いろいろと思うところはある。というのは、細かいことはさておき、自分が高校野球を見て楽しんでいた頃に在った選手だったということが大きいのだろうと。合掌。
大学バレーとどのように出会ったか
最近懐かしい系のネタを連発してくださる「楽しく考える男子バレー」さんで、面白そうな話題があったのでちょとトラバしてみんとてするなり。
1985年神戸ユニバ→ワールドカップが引き起こした*1ブームは、大学在学中の全日本選手が多々いた折、大学バレーに波及していた。そのことを、個人的には雑誌の記事を通して知っていた。いつか機会があれば見てみたいとはずっと思っていたが…というレベル。
在学中の全日本選手ばかりではなく、中韓両国からのトッププレイヤーの留学、バイプレイヤーの数々、話にだけは聞いていた。先日JOC中学大会のスタッフ写真で久々に名前を見たのだが、公称160cmのレシーバー・南部選手(日体大)の神がかりプレイというのも、見に行っている人からは聞いていたし、気にもかかっていた。
が、当方が初めて大学バレーを見た頃にはみんな卒業してもーてたヽ(´―`)ノ
とはいえ、印象に残る選手はまだまだいた時期だったと思う。所用の帰り道、500円握り締めて入った記念会堂で、初めて大学バレーを見た。関東一部、表紙は法政の竹野選手だったような違ったかもしれないような。
筑波躍進の年でもあったが、朝青龍並に負けない*2筑波になろうとはこの頃は思ってもみなかった…
控え選手・客席まで含めて全員バレー、というのが、筑波について感じた魅力だったのだろうかと。約1名規格外の選手がいたのもそれはそれでみりきてきであったわけだが。