/ja あやつる YmrDhalmel

バレーボールを見た記録が多いです。主に北で、たまに南で。

ひなまつりとホームゲーム

カピオから帰ってきて10日くらい経った。その当時から、新型コロナウィルスへの最大限の警戒を以て運営もプレイも観戦もその他諸々進められてきたが、結局リーグ戦の続行への希望は絶たれ、リーグ戦は終わってしまって、その後の予定も続々と白紙になって現在に至っている。この先に何をどう望んだらいいのか既によくわからない。ここまでの長い戦いを抜けて、意義ある試合を進めてきたチームや選手への感謝の気持ちはなんも薄れることはないが、急に終わったリーグという事実に直面し、それぞれの方々が、必要以上にご自分のその先を見つめ直して、そこから何かを考えて決断するようなことがあるのではないかと、見る側も必要以上に心配しているこの頃なのである。

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そこはホームだったから


そして、3月になった。チャレンジマッチがおこなわれるのか否かは、未だによくわからない。来季また逢いましょう、は、いろんな場面に適用できる挨拶なのだろうか。

……という、本筋について、考えさせられるポイントは数多あるのだが、それはさておく。

カピオにいるときからずっと考えていたことはあるのだ。各チームはホームゲームをおこなう。おこなうのだが、チームにとってのホームって、一体何なのだろうかということを、この前、カピオでは、随分考えさせられた。選手はホームゲームへの感謝を伝える際に、いろいろな立場(あるいは、そこにいるひとたち)を挙げて、並べようとする。ただ、その中で、そのひとそのひとの立場で、ああ、自分(たち)は、果たしてちゃんと顧みられているのだろうか、ということを、思ってしまうことは、あるのだろうと。例えばボールの飛び先とか、そういうところから、考えてしまうことは、あるのかもしれないと。

それ自体はそうなのだろうと思う。思いつつも、ホームゲームってなんだろう、ということを、改めて、ひなまつりになって思い起こす。

応援している選手に家族が在って、ホームゲームというのは、「ホーム」なので、そこに家族がやってくる。そして選手に声援を送る。いつしか、ホームゲームって、それを見ながらほっこりする場所になったのかなと、自分あたりは思うのだということを。あ、そういえば、今季の開幕は、別の角度から、ホームを感じたなあと(あ、復習しようじゃないか。わたしの開幕は、旭川じゃなくて、都城だったんだよ)。

普段見ている選手たちが、そこで、プレイをできることに感謝する、そういう側面は、ホームゲームには在るんじゃないのかな。ということを、ホームゲームが終わってから10日くらい経ってから、じわじわ思い至るのですよと。まとまらないまとまらないと思いつつ、ようやくまとまりましたですよと。

でも、まとまらない思いはある。いつか、その続きがあらんことをと、願ってやまないのだ。