/ja あやつる YmrDhalmel

バレーボールを見た記録が多いです。主に北で、たまに南で。

琴線とセッター(役には立たない系)

※本稿は、バレーボールアドベントカレンダー用のエントリです。お初の方もいらっしゃると思いますので軽く自己紹介を。あ、拙者、クリスマスイブにもう一度登場予定です。

でぐちきりと申します。いろんな都合により、いろんな名前で呼ばれています。ここのブログで15年くらい駄文をしたためておりますが、そのIDはdhalmel(だるめる)なので、だるめるさんとかだるさんとか呼ばれたりもします。

気がつけば、人生において、バレーボールを見ている時期の方が、見ていない時期よりも長くなっていました。バレー…もとい、馬齢を重ねたのだろうと思います(あ、馬はいいですね。いいです)。バレーボールについては、見るだけの人を続けています。見ることから残すこと、伝えることへの導線を、若干働かせようとしており、それゆえに、写真を撮ったり、文章を書いたりすることがあります。ここ数年は、しばしばバレーボールマガジンという媒体で、出口季里名義で、記者として会見やインタビュー記事などを担当することもあります(って、まさに先の週末がそれでした)。

自己紹介はこのあたりにして本題へ。

f:id:dhalmel:20191102131836j:plain

わたしがバレーボールを見るようになってから、ほんの5年ちょっと前まで、ずっと共通していたことがあった。惹かれる選手というのが、ほぼアタッカーだったということだ。セッターは、奥が深い、そしていろいろな流儀がある、はやいとかたかいとか、自分を出すとか出さないとか、打つとか打たないとか、セッターを巡っての議論のタネがつきもので、怖いからあまり近寄らないでおこうという気持ちが無意識に働いたのかもしれない。

バレーボールを見始めた頃の全日本に、高校の折から天才と称されたセッターがいて、そのセッターが、同い年の別のセッター(身長は同じくらいだが、セッターとしてのタイプは真逆だと言われた。ほんとのところはどうなのかはわからない)と入れ替わりで全日本から外れたというようなことがあった。たくさんのファンがいて、それなりに議論を呼んだ(今のようにSNSなどでパッと意見交換ができない状況であることを考えると、かなり活発だったなと思う)。そのときの何をどうポイントにしていたのかというのは今となっては知る由もないが、当時の自分にはただ「ひえーセッター怖い」ということだけが刷り込まれた。

5年ちょっと前に唐突にその図式が変わったのは、長年応援しているチームの試合を久し振りに見て、そのコートの真ん中にいたセッターに惹かれたところからであった。

そこからいろいろなことが変わったなと思っている。自分の観戦スタイルの中で、いちばん大きく変わったのは、カメラを構えている時間帯と、メモを取る時間帯の比率であった。そしてシャッターを切る回数が、格段に増えた。なーんだそんなことかといわれても、そんなことだとしか言えない。

メモの比率が少なくなった分、そのセッターのゆびさきに、立ち居振る舞いに、目を奪われる比率が増えた。世界はその掌の中、かどうかはわからんが、コートの真ん中にすっくと立つセッターには、そんなハイライトが射すのだということに、気がつく。いろいろなカテゴリで(春から秋にかけては、主に北海道内での大学多め)見るバレーボールで、真っ先に目が向くのがセッターになった。それは、どう考えても、大きな変化だったなあと思っている。

相変わらず「どんなセッターが、いいセッターなのか」については自分の中に言葉を持たない。ふと頭に浮かんだ言葉の中に「いいセッターと上手いセッターとすきなセッターとすきな選手は別腹である」というのがある。セッターについて語ることによって、見る者がバレーボールをどう見るかがえぐり出される、という意識は、今もある。そして、その意識は、年々つよくなっている。だから、語ることは怖いのだけど、語りたい気持ちには勝てなくなって、前のシーズンの終わり頃に、まさにこの言葉をキーワードにしてブログでエントリを書いたなと思い出した。

dhalmel.hatenadiary.jp

V.LEAGUEは2019-20シーズンが始まっているが、前のシーズンに増して、オノレの琴線にびんびんびんびんと触れる何かを喜んでいる自分がいる。それが何であるかを語ることは、未だに怖い。

しばし脳裏を駆ける「セッターを考えてくれた人」ということば

追記のようなもの。

前述の通りわたしはプレイヤーであったことはない。ネットを挟んで飛んできたボールをセッターに返し、そのボールをセッターがセットして、そのボールを打つ……という、バレーボールの基本的なスタイルを、自分で体現できたことがない。イベントなどでセッターにボールを上げてもらったことがあったが、それを打つことも、上手く出来たことはない。

そういう人間も、しばしば、見るだけではなく、セッターのことばを聞いたり書いたりする機会を持つことがある。そのたびに非常に震えるのだが、中でも、3年半経った今でも震えるのが、セッター同士の対談の中で聞いたこの言葉だった。

セッター考えてくれた人に感謝してますよ。

セッターとして、チーム最年長として-木場田和希・浜崎勇矢 | バレーボールマガジン

この言葉が響きすぎて、進めていた自分が思わず 「誰かが考えたんでしょうね。あげて、打つ、という」などという妙な返しをしていたなあと、今読み返して改めて思う。

この言葉の主を、先日久しぶりに目にした。男女、それも男子のV2と女子のV1が共催であったからこそという、妙な縁だったと感じた。胸が熱くなった。

改めて、ボールが、ボールとして繋がっていることへの認識を新たにしたのだった。

f:id:dhalmel:20191214173555j:plain

久光製薬スプリングス・木場田和希コーチ(写真中央)
あ、もうひとつ紹介したい。

セッターについて書かれた、何度でも泣けるエントリである。この前久しぶりに読んで身体中が熱くなった。

sputnik0829.hatenadiary.com