/ja あやつる YmrDhalmel

バレーボールを見た記録が多いです。主に北で、たまに南で。

「スポーツビジネス」「サミット」に行って

ヴォレアスがかなり深く入り込んだ状態で、北海道でのスポーツビジネス絡みのイベントがおこなわれる、というのは、前々から把握はしていた。実は(このブログを遡ったり昔のことを憶えていたりする向きにはぴんとくるのかもしれないが)、東京にいたときには、この種のイベントをいろいろ探して、仕事の合間を縫って行っていたのだが、ほんとうに久しぶりのことになってしまった。手許の記録?を遡ると、試合観戦やファン交流イベント的なものではない場には暫く縁がなかったのかな…という感がある。2011年後半、札幌に越して以降ではこのくらいだ。

…このへんかなあ。あとは東京でお世話になった勉強会のかたから紹介をいただいて、札幌でスポーツビジネスを研究しているというグループの集まりにも参加してみたことがあったが、どうにもうまくフィットしなかった、かもしれない。

たぶん、自分が徐々に、スポーツを観るにあたりいろいろなことを「考える」ことから離れていったのは、事例は非常に参考になるし、聞いてもりもりと湧く力はあれど、じゃあ、それを考える自分はいったいなんなのだろうか、何か考えを拡げて役に立つことがあるのだろうかというのを考えちゃったからなのかなと思った。今回、せっかく「札幌で」機会があると識り、スケジュールを調整して費用を払って参加しようとしていたところに、所謂取材の依頼もあり。ヴォレアスに関わるバレーボール部分についてはそちらの記事にとりまとめたうえで、わたし個人として久々のこの場を味わう、という不思議な二重構造ニンゲンになっていたわけである。

記事↓

vbm.link

はい此処からは私見と思い出したことを。

どうやったら、自分が見ている、応援しているチームや競技が幸せになれるのだろうということを、いちばん一生懸命考えようとしたのは、たぶんサンガイアが立ち上がったばかりの頃だった。サンガイアが、つよい意識を持つリーダーと、バイタリティーの高い若者たちにより、バレーボールのなかにひとつの形をつくろうとして、様々なことを考え実行に移していたことが、はっきり見えるように現れていた時期である。バレーボールの試合と並行、あるいは前後して、「ものを考える機会」としてのイベントが開かれて、わたしはそこに好んで足を運んでいたし、そこでものを考えていたのである。ただし、考えるだけではなく、どうやってそのいちばん熱いところに飛び込んで行くか、ということに関しては、残念ながらその頃の自分には少々考えと体力が不足していた。ひとりじゃなかったし←。

今回聞いた話を咀嚼するに、恐らく、その幸せがもたらされるには、幸せそのものを求めて直球を投げようとするのではなく、周囲を用意周到に眺めながら、必要となる切り口を定めて、その切り口そのものを極めていくニンゲンになって行く必要があったのだろう(その切り口のひとつがビジネススキルだったんだろうな)ということである。わたしにはその視点が足りなかったし、それを極める時間があるなら1試合でも多く見たいひとであったのだなあと、今はなんとなく思う。何が正しい間違えている足りる足りないではなく、やっぱり切り口が違ったんだろうなと。そういう意味でいえば、今回のセッションを聴きながらメモしていたこのことばあたりはずしり、だったなあと。今まで燻っていた呪いのようなモノを一気に可視化させられたなあと。

サンガイアにはいろいろな岐路があった、というのは常々思っていたことだし、ことしいちどエントリにもしたことがあったが、やっぱり自分の中では、ここに書いたうちの一番最初の岐路「2009/10シーズンが終わってからの出来事」は大きな衝撃であった。サンガイアはその後もいろいろなひとびとの尽力により、チームとしてきちんと続いて現在に至っているが、このとき確かに枝分かれしてしまった部分があって、そこはその後「加藤さん」という存在をチームの中に内在している状態においてもなかなか補いきれず、更に現在に向けて更に枝分かれられ続けていっちゃったのだろうという思いはある。そういえばことし初めて「枝分かれしていった先」こと、FLV(フォレックスリーグ)を見ることができたなあと遠い目にもなったりしたし。

ちょと前の記事に書いた。

どうやったらサンガイアが勝てるんだろうかとか、どうしたらカピオにいっぱいお客さんが入るんだろうかとか、脳みそにフリータイムが現れる度に(そうじゃなくてタイムシェアしてでも、かも)そういうことをぐるぐる考える日々でもある。

年末最後の - /ja あやつる YmrDhalmel

入場無料砲ってのもあいまってだが、かつてつくばカピオで開催されたV・チャレンジリーグの試合で、2000人以上が集まっての試合というのがあった。今季5シーズンぶりにカピオでのホームゲームが組まれているが、その試合がそのときに迫るくらいに盛り上がればいいなと、謎のカピオ愛に包まれては思う。……んだが、正直なところ、「今」とはかなり距離があるんだろうなということをも思う。

カピオ開催がある1/26-27の前まで、年明けからの地元ラヂオにキャプテンが3週連続出演してPRをするとかしないとか。地元の多くのひとに聴かれて、来場へのトリガーになればいいなという思いはとてもとてもある。

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2009年3月、カピオ。

話は戻るが(戻るのか)今回久しぶりに「試合を見るでも直接応援するでもチームと直接交流するでもなく、聞いて学んで考える場所」に赴いて、バレーボールを取っ払った大枠ではいろいろな動きや成長、進化があるということを識ることが出来てよかったと思っている。そしてその一方で、自分の中で囚われた、凝り固まった部分が見えた。恐らく求められるのは、囚われて凝り固まった人間ではなく、これからじゅうぶんに吸収と発展を遂げられるひとたちなのだろうなということを痛感した。

せめて、あのときのように、いろいろな動きを邪魔せずに応援して見守っていくことが出来ればいいのかなと思った。そのうえで、見守るのはActionではないかもしれないし、何か自分に出来ることがあるのかということは考えつつ、動いていたい気もするし。んまぁ葛藤は深まったなあと。

クラブがこうあってほしい、わたし(たち)はこういうことが出来ます、こういう条件で提供します、しましょう、提携しましょう。というようなこと。対象同士の対価(お金とは限らない)を伴ったやりとり。見ている者、応援する者、というのは、その立場、範疇で、そういう動きが出来るものなのか。それを考えたら、ファンってなんだろうか。というようなところまで、勝手に掘り下げてしまう。やっぱり、自分は、その対象(競技であれ、チームであれ、選手であれ)への愛からでしか駆動はできない、そういう人間なのだなあ、としみじみ。

ある意味めんどくさいところに気がついてしまったなあ、と、いち参加者個人として、わたしは考えた。