/ja あやつる YmrDhalmel

バレーボールを見た記録が多いです。主に北で、たまに南で。

境界線

ひょんなことから手書き(この時点では「書く」のほう)にハマリ、なんだかんだいろいろなものことを書くようになって、書くためのものを求めて文具屋さんに行ったりしていた。文具屋さんもいろいろあるが、やっぱり札幌のエースは大丸藤井セントラルだ。異論はあるかもしれない。

その過程で、あるとき、水彩色鉛筆ご自由に24色特売に出逢った。水彩色鉛筆といえば、かなり昔に遣っていたものはあれど、今更ご縁があるようには思えなかった。思えなかったのだが、何回か躊躇した挙げ句、いつの間にか一揃え揃えていた(1本200円強する、FABER CASTELLのART GRIP AQUARELLEというやつが24色自由に選べて、缶に入れて半額くらいで手に入った)。家にあった葉書サイズの紙に、いろいろ描いては色を塗って、水筆でその色をのばしていた。

絵を描いていたら、なんだかんだで思った通りに紙に表現出来るようになったらいいなという気持ちに、そのうちなっていく。いっしょうけんめい形を捉えようとするものの、どこかしらどうでもいい筆致になるところがあるなあと思い、じゃあどう折り合いをつけたらいいものかと思って、ネット内外のいろいろなところを巡るようになった。描いている動画を見つけて唸ったりもした。

最近は、まずは描きたいのがひとのかおであるというところから、はてなブックマークのホットエントリー経由で識ったPixivの「Sensei」だとか、Hitokakuだとか、いろいろ見ながら鉛筆を動かして練習するようになった。その過程で、人間の顔や顔のパーツってこういうつくりであるとか、比率はこうであるとか、そういうことを徐々に把握していったらだんだん自分の中に芯が出来つつあるなあということに気がついた。

生まれて物心ついて絵を描き始めた頃には「自由な発想で」とか「伸び伸びと」とかいう言葉が、絵を描こうとする者に響いた記憶がある(そういえばヴォレアスホームゲームで見たこどもの絵もそうだったなあ)。そういえば、法則とか寸法とか比率とか、どの時点でどう学ぶものなのかなあと、ふと思ったのだが、思い出せなかった。そういえば、オーバーパスだって、そうだったなあとか。「やってみよう」と「どうやるの」の境界線がもうちょっと緩やかであれば、もっと上手く出来たことってあるのかもしれないなあと。自分が得意なことについては、自然と境界線を越えられた、というだけなのかもしれないなあと。

いやそれは○○の時点で教えましたからと誰かに怒られるかもしれない。概ね、教える側のではなく受け手側の問題なのかもしれない。