/ja あやつる YmrDhalmel

バレーボールを見た記録が多いです。主に北で、たまに南で。

ひとが、ひとと、ひとにはなしをきく。

話を聞こうとしている側のひとが複数いると、その中で拡がりが出来て、奥行きが出るということを、きょねん、初めて識ったんだった。

時折、非常勤記者的な立ち回りをするようになって、かれこれ数年経った。主に、こちらに越してからそういう動きをすることが増えた気がする。とはいえ、状況がそう向かなかったからか、取材対象の方と直接向かい合ってお話を伺ったり、目にした内容をもとに文章を書いたりしゃしんを撮ったりすることはあったのだが、複数メディアの方が一堂に会する現場には、それまで縁がなかった。東京にいたときに、一度だけ、時間がつくれるのであれば参加したいと思った記者会見はあった*1なあと思い起こすことはあったが、そもそも平日昼間にシゴトをしているベースがあるので、調整は難しい。これは今もそうだ。

きょねんの10月21日、ヴォレアス北海道の設立記者会見に際しては、偶然にも事前に日程を把握出来たので、金曜日ではあったが、スケジュールを調整して行くことが出来た。これが、「複数メディアが一堂に会する」場への初めての参加機会であった。テレビ局、新聞社、雑誌社、その他…あらゆるメディアの担当者が一堂に会し、同じ説明を聞き、そこから質疑応答をする。誰かが手を挙げて、その回答を複数のひとがいっしょに聞く。全体での会見が終わってから、各自、取材をしたい対象に話しかけてお話を伺い、あるいは誰かが質問をしているところで、一緒にそれを聞く。自分ではない誰かの視点、誰かの問いかけを目の当たりにすることにより、その場がちょっとずつ拡がりを見せ、それによって自分の視野も調整されうるということに、改めて目を見開いた日だったのである。


[20171118@鷹栖 S席特典で後ろから拝見していた、ヴォレアス記者会見のようす]

先日書いたばかりの天皇杯ファイナル前半に於いても、同じような、しかしちょっと毛色の違う貴重な体験があったなあと思い起こす。総てを追い切れないほど盛りだくさんな試合とその周辺の動きの中で、少しではあるが、「ひとと」を感じるところがあった。いろいろな書き手、聞き手の「そこをポイントにするんだ…」とぶつかったり融合したりしたりした部分が、自分の中に在った。取材現場にはいろいろな約束事があり、それはその場所、大会、催しごとに違う(と聞いている。という部分が大半だ。そこまでの経験は積んでいない)。ただ、多かれ少なかれ、複数のひとがそこで交わることにより、拡がる視点はあるのだろうなという感覚は、自分の少ない経験の中でもある(その最たる部分が、天皇杯では2日目のVC長野絡みだったかなと思っている)。

12月25日にVリーグの新リーグ設立発表記者会見がおこなわれた。この会見は平日昼間に東京でおこなわれたこともあり、わたしは出席はもちろん、リアルタイムでされていたという配信も見ることはかなわなかった。おそらく、専門誌をはじめ、様々なメディアがそこに集まったのだと思われるが、読めるものを読んだところで、気になるところについて「幅広く」掘り起こされなかった残念感はあった。せっかく、どんな立場でそのニュースを耳にするかによって、聞こえ方が異なるものだというのに。
たとえばその場で「ヴォレアスとヴィアティンはどうしてS3申請中なの?申請が通ってもV3なの?」と問う人があれば、その問いに対するこたえはその場おおやけのものとして、「場」の複数のひとで共有される。そこではっきりした答えが出ていれば勿論、出ていない場合は「出ていない」ということが、おおやけのものとして共有される。それが「ひとと」することとして大事で効果的なことなのだ。
はなしをきくひとたちのうしろに、そのはなしを待つおおくのひとびとがいるということを、きく立場としても、待つ立場としても、深く意識する年となったのだなと。どちらの立場にも偏らず、どちらの立場におもねることもせず、面白いスタンスで。来年さらに。

*1:2009年だっけか。加藤陽一選手サンガイア入団会見