/ja あやつる YmrDhalmel

バレーボールを見た記録が多いです。主に北で、たまに南で。

いろいろな活きかたがあるということ

年を越しながらぼんやりと考え続けていたことを、ちょっと書き出してみようと思う。たぶんとりとめのないものになるだろう。

正月にこの記事を読んだ。→【嫁は二次元】走るガルパンおじさんが語る #箱根駅伝 の注目「オタクランナー」

この記事自体にはいろいろ捉えられかたがあるんだと思うのだが、いちばん思ったことは、ひとがそのスキルを活かす場所って、いろいろあるんだなぁということであった。確か、この記事を見つけて読む傍ら、てれびでニューイヤー駅伝を見ていたのだが、そこでは「実業団」という括りと、見る側にとってのその「括り」の安心感(中の人はその中でセッサタクマしトウカクをあらわしトウタされる。そちら側の安心感という意味ではない)をじんわりと思っていたのである。そこは(そして次の日からの箱根も)チームスポーツなのだが、その「チーム」を構成するひとにはそれぞれの目的、目標があって、たとえばマラソンを走るとか、トラック競技に挑むとか、走ることに何らかの付加価値をつけるとか、選手ではない立場で関わり続けるとか、いろいろ…それは、大元は個人競技だからなのだろうな、昨今取りざたされる「○○選手プロ転向」って、大概個人選手だしなぁ…

などと思っていたところ、年が明けたところでJT越川のビーチバレー転向の報せ。それはなんというか、複雑な味わいを以て受け止める報せになった感がする。

書くことをここまでにしておくと「誰か、とても突出した人の話」で終わりかねない。ただ、この時期、「そっちじゃない」方向で考えを巡らせることが、けっこうあるのだ。

これからの方向性を決めて、新しい場所で活躍したいと考えるひとたちが、続々と新しい場所にやってくる。そういう時期になっている、ということを、春高が終わったとか、Vリーグが再開されたとか、そういうところから感じている。しかし、その「場所」を定める機会はワンポイントなのか、それでいいのか、そうじゃないだろ、という気持ちになるところもある。

これまで見たことのある、そこから熱い何かを受け止められた、いろいろなひとが、やっぱり、どこかで、それを受け止められるような場所を得ていてほしいのだと。「流動性がゆるされる」機会としての、新しい枠組みには、少々期待はしてみたものの、やっぱり、「安心感」のおおきさにはかなわないのかな…という気持ちもある。概ね、わたしは、たぶん、往生際の悪い方の人間なのだと自覚はしている。視線の先のひとびとについてだけではなく、自分自身のありように対しても。

これから、しばらく、祈るようにして、コートの内外を見る日々が続くのかもしれない。