/ja あやつる YmrDhalmel

バレーボールを見た記録が多いです。主に北で、たまに南で。

深く、長い、森の奥から

20160228|Keishicho-TUSG

じゃっかん回想を兼ねた、あやつるあーかいぶす第6弾(に足半分ツッコミ)
きょうは北海学園東北学院の定期戦の日だ。ことしは仙台で開催される。総合定期戦自体はもう少しあとの日程なのだが、バレーボールは東日本インカレと日程が被るからか、ちょっと時期がずれている。

ことしも仙台へは行かなかった。こちらでおこなわれる大会は、見に行っているのだが、仙台へは、まだ行ったことがない。今でも「行けていたら良かったなぁ」と思う、そういう年があった。

行けていたらなぁ。見られたらなぁ。そう思った定期戦から、はや4年が経っていたことになる*1

去年は、東北学院が札幌にやってきた。試合の合間に、カメラを構えながら、チームの方とじゃっかんの雑談をさせていただいた。その雑談の中でふと「サンガイアを応援している」旨を話すと、「最近調子が良くないみたいだけれど」と、OBを気遣うことばが飛んできた。奇しくも、遠いところで気遣われていたそのひとの25回目の誕生日だった。

あの日。

タッキーは森の奥の迷いの中にいるのではないだろうか、と、あの日からずっと思っていた。あの日、とは、2013/14シーズンも押し迫った、最終週の刈谷。サンガイアは首位にいて、強敵との戦いは残していたが、なんとかチャレンジマッチへは届く…つもりでいた。細かいところは失念したが、連敗しなければなんとかなるんだっけ的な位置であったと記憶する。

土曜日の警視庁戦、その試合の序盤でアクシデントが起こり、タッキーはベンチに退いた。代わった南が踏ん張り、トスは加藤に集まり、全員で攻めて守り、サンガイアはフルセットにもつれ込んで敗れた。もう、そこを繰り返し書くのはやめよう。此処に書いたから。→刈谷の土日のつくばのことを。 - /ja あやつる YmrDhalmel
とにかく翌日、目を疑ったのだ。試合に出られる状態には見えなかったタッキーが、コートにいて、しかも凄まじく存在感を示していたのだ。そして、ソレを以てしても、チームのねがいは叶わなかった。のだ。

先日OQTを見ていて、怪我を押して出る、ということ、そしてそれを望もうとすること、について、深く考える度に、このときのことを思い出してしまっていた。OQT(殊に終盤)については「しかも趨勢も決まって何を目的にするかわからん試合にまで」ということばがついて回るのだが、こと、あの日に関しては、チームが大事な局面を迎え、しかも、所謂「ベストメンバー」以外の層を厚く持っていないチームの、核になっていた選手について、でさえ、いや、そうであったからこそ、ぐるぐる回ったのかななどと…思うのである。

そのあと。

あとあとになって、その刈谷の折にはチームのひとはみんな識るところとなっていた、ということを知った、加藤さんの引退。加藤さんラストマッチとなった黒鷲での3試合、タッキーは試合に出なかった。次に試合で見たのがPOWER OF GREENだった。
そこから、どんどん「若きエース」は「チームの大黒柱」的な存在になりつつあったものの、見ていた自分の中のどこかしらで、最初に見た時の衝撃を思い出せずにいた。それがあの日の影響だったのかどうかは自分にはよくわからないが、深い深い迷いの中に在るような、そんな感覚がありつつ見ていた。そして、何かを深く考えようとする度に、軽妙(すべるとは言っていない)なトークや身のこなしに吸い込まれていって…と、そういう繰り返しだった感がある。

2015/16というシーズンは、わたしにとって、何をどう見て向き合って、というのが非常に難しい年だった。サンガイアはチームごと混迷の中に在って、試合の中でちょっとずつ希望を繋ぎつつも、なかなかひとつの道筋にならない、そんな日々が続いていた。ないものをねだりつつのシーズンでもあった。

その締めくくり、大分での最終戦。それも最終セット。次の試合の始まりを待つホーム・大分三好と、サンガイアのアタマの上を通り過ぎた埼玉が見守る中でのそのセット、ほんとうに久々に、コートを揺り動かすタッキーを見た。ただただ声をあげた。

20160228|Keishicho-TUSG

ファイナルセット、そうじゃないセットと見まごうような、23-25。しかし、勝敗とか、最終順位とか、会場の様子とか、眼差しとか、そういうものを一瞬忘れてしまいそうになるほど、ほんとうに、久しぶりに、久しぶりのタッキーを見た、そんな気がした。

いま。

…というのを、それを見た時からずっと書きたかったのだが、3ヶ月経ってしまった。その時の見立てが正しかったのか、それはよくわからないのだが、緑色のユニフォームに身を包んだ背番号6、その姿を見据えながらの次のシーズンがやってくるということ、それは目の前に見えていることだ。

森の奥から、保護色の中から、そのひとは還ってきたのだろうか。実は、OQTをてれびで見ながら、アタマをよぎっていたのは、ずっとそのことだったのだ。

*1:その後、ほどなくおこなわれた東日本インカレ@きたえーるで見ることは出来たのだが