/ja あやつる YmrDhalmel

バレーボールを見た記録が多いです。主に北で、たまに南で。

待っている。じっと。

家を出る前の10分くらいで書いた待っている - /ja あやつる YmrDhalmelの続き。

両国その他で声をあげていた方がいらっしゃるのは存じていた。Webサイトも見ていた。されど、踏み出して良かったのかとかいいつつ、何も出来なかった。信じてその日を待つことしか。…うんにゃ、ちゃんと待っていいのかどうか、なんて考えてしまってた。何やってるんだろうな自分。

…どこかで、「いま目の前でくり広げられている相撲」を見ること、との整合性を取れないという悩みがあったんだろうなと。「いまの相撲」を見るには、ちゃんとどこかで区切りをつけなきゃならんだろ、と、そういうキモチがあったんだろうなと。もっとも、「いまの相撲」を見つつ、心はどこかに残していたのだけれど。残しつつ待ってはいたのだけれど。

3年くらいぶりに(という着地点になりそうな時期に)本場所を見に行きたいなぁと考え始めている。

さきの月曜を16日目などと言ってみたのだが、それはそれ。
今場所は土日の巡り合わせおよび祝日もあって、休みの日にはけっこうテレビで相撲を見ることが出来た。殊に14日目には荒汐部屋の力士が続々と土俵に上がっていた。なんだか知らんが今場所の後半は土俵の進行が押していて、三段目もかなり深いところからBSでの放映に引っかかった。
それで久々に荒獅子を見た。聡ノ富士(先場所弓取りしてて、今場所はたすき反りで話題になったおすもうさんである)と対戦して快勝。その後、荒篤山がもー少しのところで幕下の壁にはね返され(ああ、つきひ(スペース略)ざ)、現在の部屋頭である福轟力が3勝3敗から勝ち越しを決めた。
なんだか強烈な荒汐勢ラッシュ(この日はBS前も多かった)にのけぞりつつ前のめりになり。そんなことをしていたんだったなぁ、と、実は月曜日、「16日目」に思い出してしみじみと何かがあふれてきていたのだった。

いま部屋にいるひとりひとりがたいへんだったんだろうな、そう思っていた。実は一度だけ荒汐部屋に稽古を見に行き、そのままちゃんこをご馳走になったことがあった。いつだっけと思ったら2006年の6月だった。mixiで参加していたコミュニティでの呼びかけに応えて参加した、稽古の見学会だった(ので、mixiの日記には記録が残っていた)。
蒼国来「さん」は当時部屋頭であったが地位は三段目。まだまだカラダが大きくなる途上で、ちゃんこの折には師匠からハッパを掛けられていたと記憶している。非常に明るくはきはきと場をつくって来られて、その場の色をつくっていた記憶が強い。その頃からいらっしゃる方は、おそらく片手で足りてしまうのだろうと。前述の福轟力はまだ本名の赤井で取っていたし(しかも入門してそう時間が経ってなかったんじゃないかと)、とか考えるとそれこそ荒獅子と式守一輝と…もうひとりくらいかなぁ…などと。もう、いまや、荒行志も三代目だよ、と*1

そのときに見た光景はそう簡単には書けない。書ききれない。書ききれないくらいの重くて大きなものを稽古場でいただいて、更に美味しいちゃんこ(と昼間っからびーる)をいただきながら相撲への深すぎる愛情を全身で感じたことだけは確かだ。先ほど拝読した文章で、ところどころ鮮やかに蘇ってきていて、どうにもならないくらい、その場に駆けつけたい心境にかられているのだが…。
蒼国来がこの2年で教えてくれたこと(ケイ商店 谷岡ケイさんによる文章)
どこをどう読んでもその一節一節が染みる。何故だかわからないが気がついたら泣いている。わたしもそうだ。

いつになるかわからないのだが、いつか、また、その四股名を叫んだり、かわいい部屋の弟弟子を見つめたり…そういう日が来るのだろうと、やっぱり、楽しみに待つ。待てばいいんだものね。もう、あとは。
名古屋なり秋場所なり…は、鋭意検討中。夏場所だったら14日目かの…(千秋楽は入替戦だった)

*1:2番目に荒行志を1場所だけ名乗ったイガラシ少年が、当時新弟子だったんだ…