/ja あやつる YmrDhalmel

バレーボールを見た記録が多いです。主に北で、たまに南で。

開幕前夜に開幕

ここ数日、思い出すことがあった。例年、この時期に、通勤電車でいろいろな新1年生と鉢合わせをする度に、それなりに思い起こしてはいたことなのだが、今回は特に。

わたしが初めて東京に住み始める前。地元にいた時は、バレーボールに関する情報源の8割方が雑誌を通してのものだった。雑誌に、たまに大学バレーの情報が載っていることがあった。大学バレーから多くの選手が輩出された、というのは知識としてはあったが、具体的に大学バレーがどのような場であるかは知るよしもなかった。

たまたま、自分が大学生になって上京し、体育の履修登録で行った隣の建物に、「大学バレーボールリーグ戦会場」という看板がかかっていた。面白そうなので、と届けを出したその足で入場したところ、そこで展開されていたバレーボールとその雰囲気に惹かれたのであった。
そのときの衝撃から幾星霜、あーだかーだ、観戦や記憶が途切れた時期もあるが、現在に至る。

雑誌からの情報で追っていたものの、時期的に行き違いになって、そのプレイを見ることが出来なかったのが、1964世代の日体である。そして東海。東海はそれ以降にもかなり選手が残った記憶があるのだが、日体はこの世代でかなり入れ代わったのではなかろうか。この頃は法政がかなり強かったし、以前は入替戦手前が指定席だった筑波が、徐々にじわじわと力をつけてきたのもこの頃くらいからだったと記憶している。

この頃はバレーボール専門の雑誌が複数定期刊行されていたので、ファンは複数の雑誌を読み比べつつ情報を得ることが出来た。しかし、現在は月刊誌は月バレのみであり、ほかのメディアでバレーボールが取り上げられることは(特定期間、特定カテゴリを除いて)かなり減ってしまっている。

先ほど、大学バレーを見られる環境になる前の自分の情報源は「8割方が雑誌」と書いた。当時の2割は…ネットのない時期だったから、紙の会報を出す私設ファンクラブとか文通仲間とかと交わしていた情報であった。交わしていたとはおこがましい。こちらは観る機会が殆どなかったので、一方的な情報吸収をするだけであった。

「大学バレー初観戦」以降、わたしにとってのバレーボール観戦は「会場に赴いて自分の目で観戦する」こととほぼイコールになった。それはそれでわたしにとっては大事な経験なのだが、知らず知らずのうちに「どうやって情報を得ていくか」という視点を忘れてしまっていた。雑誌が8割を占められなくなった時代、テレビの放映が激減した時代。どこで、どうバレーボールの営みが続いているのか、というのを、如何に可視化していくか?

バレーボールに関して「知りたいこと」は、束になって向こうから降ってきてはくれない。そういう状況が続いている。観戦を楽しむ多くのひとは、必死で情報を掴んで紡いでいる(そしてこのブログに辿り着いてがっかりする、と言う現象もあろう。書き手が気付いていないだけでw)。

せめて、調べて得られた情報は、知ることが出来る場所に。そして、そこから何らかの広がりを、浸透を…

もう10日前のことになるが、おおきいスポーツメディアで記事を発表しつつ、丁寧に細かい情報やビジョンをブログで発信していた市川さんがブログをやめると知ったときにかなりショックを受けた。

特にVリーグの話題、試合の速報などは一般誌では需要がないため、
ブログで書く機会が多かった気がしますが、だとすればなおさら、
まずは国内リーグの話題を書く場所、速報を書く場所を探すために奔走することが先決です。
となると、「記事にできなかったことを書く」ブログの存在自体が、
すでに自分の仕事に対する言い訳になってしまっている気がします。

お知らせ | バレーボール日和 | スポーツナビ+

実は、ブログはメディアじゃないとおっしゃるのか、と読めた(注:ひねくれています)。
実は、出版とか新聞とか既存のメディア自体が(バレーボール云々以前に)厳しい状態にあるところで、ああ、その場所はどこにあるんだガンダーラ、とついつい毒づいてしまったのである。
でも読みたい人も場所もあるのだろう。切り開くのだろう。それはとても楽しみ。

こちらはこちらで、まず、身の回りで欲するものを自分たちでつくっていこうぞ。
…という力強い声に引っ張られつつ、バレーボールInfoに参画している。大学リーグ開幕前日になんとかオープン。あとは皆様がなんとか育ててくださることと思われる(れろれろ)。
興味深いインタビューも掲載中なので是非。膝がくがくして震えながら何故かわたしがインタビューした記事も紛れているらしく。

明日は…あのときと同じように、大学バレーにとっての「新しい1年」の始まりである。