左利き
何か国分太一が左で何かしたというので話題沸騰なのだが(略しすぎ)、いち左利き兼左利きフェチとしてはあああそれ見逃したあああああううううう、というのだけが感想さ、である。
左利きというのは、当方の実家では当初「直すもの」と認識されていたが、後に「直す必要がないもの」に改められた、ようである。そもそも「直す」という表現自体、「左なのが間違っている」というような印象を持たれかねんので微妙なのだが*1。第一子であった当方について、親は、箸と鉛筆を右で遣えるようにしようとしたらしい。学校に上がる頃には、箸は右で持つようになったが鉛筆は左のまま、という現在の状況に至った(という記憶はある)。ちなみに、左利きを「右で持つように仕向ける」という過程は、その後のきょうだいにおいては削除されたもようである。
まぁ、作法上右でやったほうがいいもの(そういえば、朝青龍は最近右で手刀を切るようになったなぁ)、左でやったほうがいいもの、というのはあるのかもしれないし、上手いこと其処にあるものと仲良くしていったほうがいいものもあるのだろうが(たとえば自動改札とか)、右がアレで左がソレという固定概念は時として邪魔である。
当方の場合印象に残っているのは、中学の頃の担任(テンプレートかざしたような文字を書く技術教師だった)が、「左で文字を書くのであれば、それを極めるべし。誰にも文句を言われないくらいに」と言ったことであった。これはなんか効いた。
追記
http://www.nobodyplace.com/mutter/2007/07/05/150001.phpを拝見し共感する部分多々。
確かに…作法上、という問題であれば
ついうっかり左腕を使ってしまったことを責めるのは、
本来的には、左利きであることではなく、『型』の修練が足りないと解釈すべき事柄。
一般的な、利き腕の話に飛躍できる話じゃない。
ということになるのだろうなぁ。やっぱり朝青龍のことを思い出したのだけど。