本年もどうぞよろしくおねがいしますか。
新しい年を迎えた。
旧年中はたいへんお世話になりました。本年もどうぞよろしくおねがいします。である。
1月1日、ことしはなんともおとなしく過ごした。じう何年か前は、国立競技場に行って、終わって、空港にダッシュして、全日空のCAの方々にニコニコしていただきながら夜中に帰ってみたいなことも、していたなあと。その頃のことを思えば、今なんぞ随分おとなしいもんじゃないの、と。なお、その時朝4時くらいから国立の前に並んで、中に入って、優勝して、喜んだチームというのは、今はもう無い。あの1999年のきょうは、やっぱり家でおとなしく(はなく)見ていた。なあ。
と、うつらうつらしながらNHKで天皇杯を見ながら思い出していた。うつらうつらしていたのがハッとなったのは、ハーフタイムに流れたニュースで、荒汐部屋にクラスタが発生してしまったということを聞いてであった。どういう形であれ場所が開催されて、荒汐部屋に何らかの措置があって、みんなげんきになって、だったらいいなとただ願うばかりである。この部屋には、以前、このブログが始まったばかりの頃に、一度稽古見学にお邪魔して、ちゃんこをごちそうになったことがあった。語り尽くせないことばがあったなあと過去エントリを振り返ったので貼るだけ貼っておく。
天皇杯の前はニューイヤー駅伝を見ていたテレビと並行で、PCでは中学、高校横綱を決めるアマチュア相撲の配信を見ていた。NHKを定年で退職した後立飛の役員になり、この大会の開催に大きな力を発揮した刈屋(元)アナの実況で見た。中学横綱は富山の五十嵐くんというひとだった。五十嵐という姓は、珍しいと云われていないものの中ではいちばんかっこええのだと今も昔も思っている。さらにファーストネームが一文字とかすげぇええじゃねぇのと。なにを言っているのかピンと来た方とは再来週ご一緒したいものだが、そもそも行けるのかどうかわからない。うーむ。
いろいろなことに驚きながらもなんとか年が明けた感。ことしもどうぞよろしくおねがいします。
なお、暮れにバレー界隈でオーバーパスとセットとキャッチの話題になっていたが、昨日出てバズったこのついーとの動画、関取(まわしが白い)のオーバーパスに魅了されたのはわたしだけじゃなかったようだ。MたKうM関だという説があるが。バレー経験者じゃねーかとも云われたが、あのかたの出身県自体が盛んなのかな、と、Vリーグに3つチームを持つ県を遠くに眺めながら思うわけである。あ、きょうは、アルテミス北海道の成田いくさん監督のお誕生日ですな。
2020年わたしのベスト映像、緊急事態宣言が出るか出ないかという緊張感漂う時期の朝、楽しそうな声がして階下を眺めたら力士と子供が大縄跳びしてたときのやつ pic.twitter.com/UUBsA76U0b
— 石崎嵩人 | Backpackers’ Japan (@takahito1101) 2020年12月31日
本年記事総括2020
ことしは『固まっている』年だった。なにかを発しようと思ったが、固まってしまった、ということが、いっぱいあった。なので、ここに書くことは、あんまりない。コレ入れて67記事というのは、ブログはじめて以来、少ない年だったなあと。
以上。
というのも味気はないような気がするので、ちょっとだけまとめておく。
過去の
2008 2009 2010 2011 2012 2013 2014 2015 2016 2017 2018 2019↓
そういえば、昨日、更新した記事があった。10年前にまとめ始めて9年前に公開して、毎年暮れに更新しているものである。わたしは行ったことがないのだが、JOCの結果とそのときの優秀選手を密やかに書き残している。ことしは、中止になった。無理もない。各都道府県が選抜チームを組んで乗り込む大会なわけで、事前の準備も大会の運営もいろいろままならないであろうから。これから、何がどう変わって、何が変わらずにいるのだろう、というところに思いを馳せ…るどころじゃないような数字が、ニュースには出ている。出てはいるが、だからといってどうにもならない。
1-2月(「その」前)
2020年の動き始めは、V3を戦い始めたサフィルヴァ北海道の選手がラジオの番組に出るということで、新さっぽろにあるコミュニティFMのスタジオにそのオンエア風景を見に行った、というところであった。その頃には、こんな年末になっていようとは思いもよらなかった。帰りにゼビオでカメラを収めて歩くリュック*1を買った。そのゼビオはことしのうちに店仕舞いした。
年の始まるころには、連勝で波に乗ったサンガイアが初めてヴォレアスと対戦するということで、どきどきしていたが、その後かなり突き落とされたようになって、帰りそのまま、初めてのサフィルヴァ札幌ホームゲームへ突入した。サフィルヴァホームの翌週は旭川でヴォレアスホーム、そこはえらく忙しかった記憶。もうかなり遠い記憶になった。ことしだったんだなあと。
2月に入ってから徐々に雲行きは怪しくなったが、V3はサフィルヴァホームゲームの北ガスで、無事終了した。V2は、翌週のカピオでの試合を最後に、次の帯広から軒並み中止になり、結局打ち切りに至った。
「それ」について
これ書いた途端にチャレンジマッチ中止なんだもんなあ…
チャレンジマッチ中止に伴うあれやこれやについては次の見出しのあとに書くとして、この稿では、「それ」に伴って、バレーボールって、できるんだろうか、と思ったことを書いておく。
無観客試合に名前がついた。今や、そういう試合が増えつつある。
チャレンジマッチ中止とリーグのゆくえ
次のシーズンの日程決定に影響が出るほど、この件が長く長く引っ張られるとは思いもよらず。当初取材予定であったし、無観客になっても行くつもりではあったのだが、いろいろありましたわな。ということで、3月くらいからの記録。主に自分が思った考えたこと。
正直あまりどこかに寄って考えたいとは思っていないのだが、「機会があって、その機会の中で白黒つく」という状況にならないと、暴れたくなる。
いろいろ、見て、伝えることに関わることが出来た。というのは、斯様な状況において、とてもありがたい経験ではあったなと思っている。
そしてやっぱり気にかけていることはある。
小さな散歩と旅
太陽のある場所に行くことはだいじだった。留萌に行かない夏というのも久しぶりである。
おつかれさまと机の下でつぶやく
そういう年であったということを。
かといって、いつか手を振ったさきのひとびとを、普通に見られるという状況に突然触れることもある。それはそれとしてすごいなあと改めて思った。
八卦の良い件
様々な予定が飛んだからというのが主な理由だが、それだけではない状況が重なって、すっかり相撲を見るひとになった。たぶん来年もそうなるのだろう。
まだ出来ていないことがあって、それは生で見てしゃしんを撮ったりすることである。来年のうちに実現はするのだろうか。そして、密やかに願掛けしている方面に、上手くことは運ぶだろうか。
noteもじわじわ書いている。
ことしもたいへんお世話になりましたしお騒がせしました。
来年どんな年になるのかよくわかりませんが、元気で過ごしているようにしましょうと、それだけを。
*1:前年の11月に板橋で壊したやつの後任
ことし行った場所2020
少ないのか、少ないなりに多かったのか。ことしは、突然そういう年になってしまった。
今、文字にしてみると、リーグが開催されて、その場所に行けている事自体が、ある時期には想像出来なかったのかもしれないな、とも。
行きたかったし実際行こうと思ったけれど行けなかった場所もある。来年こそは行きたい。
1月
18(土)V2@東村山
19(日)V3@北ガスアリーナ札幌46
26(土)27(日)V2@旭川
2月
15(土)大学道央大会→V3@北ガスアリーナ札幌46
16(日)V3@北ガスアリーナ札幌46
22(土)23(日)V2@つくばカピオ
9月
21(月祝)ヴォレアス-岡崎建設Owls公開練習試合@旭川大雪アリーナ
10月
17(土)18(日)V2/V1女子@アダストリアみとアリーナ
24(土)25(日)V2@旭川
11月
7(土)8(日)V2@砂川☆
28(土)V2/V1女子@北ガスアリーナ札幌46
12月
6(日)V2@旭川
GoToについて
gotoといえば、今年に入ってその名を冠した国から出てきたキャンペーン、物議を醸したキャンペーン、そのことを指すようになってしまった(大文字小文字はこの際さておく)。
だいたい、わたくしなどは、キャンペーンが無くても行くところには行くし、行くところがなければ行かない代物ではある。ことし、飛行機に乗って海を渡ったのは、年の前半を含めて3回だけだったと気がついて驚いた。そのキャンペーンの恩恵を受けなかったわけではないけれど。水戸のときにクーポン(+α)でお土産に買って帰った干し芋はおいしかったし。キャンペーンが何とどう相関するかということについては、正直よくわからない。キャンペーンの醸成する空気が、「やるべきことやらん」に対して作用したとつよく主張されたら、あーそーですかおとなしくしてたらいーんですかいーんですか、という気持ちになってしまう。そろそろ、おうちで見るものを含め、何もなくなったときにどうしたものかということを、考え始めなきゃならんのじゃないかなと個人的には考え始めている。ひたすら家で描き続けたら、ちょっとは上手*1になるのかな、ということを含め。
ことし、うひゃ、と、ハマった、gotoといえば、なつやすみに東川でウロウロしていたときのことだったかな。なお、このときの宿は、キャンペーンには何も関係なかったが、えらくリーズナブルだった。また泊まってゆるゆるしたい。
札幌から旭川に向かい、旭川からは旭岳方面に向かうバスに乗り、旭川空港を経て東川の道の駅で降りた。詳細は以前のエントリに書いた。
あっ(2)を書いてなかった。(2)は東川を出た後の…であったが、うぬ。
確かこの旅の前月に、くだんのキャンペーンがおこなわれることが発表されていて、わたしはこんなことをつぶやいていた。
gotoさんはどこへgotoするのか
— で ぐ ち き り (@dhalmel) 2020年7月27日
そしたらさー。
したらさー。
東川の道の駅に降り立って、しばらく周辺で作戦を立てて、至近でうどん*2を食べようと思い立って、店に入って注文して、注文を待ちながら不意についったーを見たらどひゃーですよ。
Gotoさんキターーーーーーー!!!!!!!!!!こりゃgotoじゃねぇ、welcomeじゃねーかと。そこそこのけぞった。
なんだかんだで、この選手を初めて見たのが大学生の折で、確か2年のときだったと思う。本国体開催県の岩手こそいないが他の5県が総当りで、とてもとても見どころの多い大会だった。どのくらい見どころが多かったかは本文に書いた。のちのサンガイア主将もここにいる。
当時は、まさかバレーを始めたのが大学入ってからとは思いもよらずに見ていた。そこで見てから、どこかしら気になる存在ではあり続けている。仙台大学を全カレで見る機会にも恵まれた。
大学を卒業して大同特殊鋼に入り、ことしの1月に旭川大会に登場、そのシーズンが終わるとほどなくコロナ禍に突入したが、そこで様々なカテゴリの様々な選手(同期も先輩も後輩も)と幅広くインスタライブを主催(あるいはゲスト参加)した。そこでは、いろいろな話の切り込み方、広げ方につよい印象を持ち、さて今後どのようにと思っていたら、急な退団のお知らせがあって…からの、夏だった。とにかく、どのチームも、バレーをする姿を想像できない状況での夏だったから、まずはぐわんぐわんという残響?だけがあった感だった。
そのときのわたしは、東川から即座に旭川へみたいなフットワークを発揮するでもなく、東川で借りた自転車に乗りながら、この移籍の意味するところを考えていた。9月になったところで、岡崎建設Owls(そういえば、東北6県リーグの続報はいかほどに、である。難しい状況下ではあると思いつつ)との公開練習試合で見ることが出来た。
ほどなくリーグは開幕し、戦いは続いている。日程消化状況がチームごとに異なる中、ヴォレアスはどちらかというと年内に消化する試合が多く、すでに半数以上の試合を消化している。ヴォレアスのほとんどの選手は試合に出たり出なかったりするから、あたらしく入った選手も出たり出なかったりしている。
そんな中で、たまたま、自分が見た、旭川に古巣を迎えての試合、そこで見た存在感と、じわりと感じた伸びしろと。その中にどんな決意を秘め、海を渡り、日々積み上げているのかを、ちょっとだけ物理的に近くなったところで、また見ていければということを、そこでは感じた。
--前シーズンまで所属した後藤選手についてお聞かせください。
平野監督:後藤選手はわたしとしても思い入れの強い選手でありまして、同じ場所でプレイできるのはバレー人として嬉しいですし、ヴォレアスというチームでどんどん活躍してほしいという思いはあります。ヴォレアス北海道・越川優「今日なぜ3-0で勝って、前回なぜ3-0で敗れたかの差」ヴォレアス北海道-大同特殊鋼レッドスター会見コメント V2男子 | バレーボールマガジン
年を越しそうな下書きになりそうだった。来年は、どこへ行き、どこへ行かない年になるのだろうか。そんなことを考えながら、次のエントリへ。